本は読むけどSFばっかりで偏ってたんだけど、今期の大学(社会人学生なのです) の課題で出た本を読んでみました。直近でSF以外の本って白鯨とかかな。それもゲームのメタルギアソリッドVで引用されてたから読んでみたんだよな。けっこう面白かったけどね。そのくらい久しぶりの文学作品。
「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」です。
いくつか課題図書があった中からどうしてこの本を選んだかというと、「ワオ」の語感がぐっときたから。声に出したい、わお。だってSF以外よく知らないんだ。でもこれがあたりで主人公オスカーは超が付くオタクなのです。ゲーム(ビデオゲームよりボードゲームよりかな)、アニメ(日本のアニメが好きらしい)、SF・ファンタジー小説(特に指輪物語がアツい)とそっち方面の教養は完璧。さらに自分で創作もしてしまう典型的なオタクなんですよね。主に1980年代のサブカルチャーを中心に、なかなか理解されない趣味と彼の恋愛模様が描かれています。アメコミやゲームの引用に散りばめられた軽快な語りで一人の青年の孤独に焦点を当てているんですよね。今はオタクでもここまで理解されないこともなさそうだけど。けれど視点が姉や母、既に亡くなっている祖父へと展開するにつれて、オスカー個人だけでなく、オスカーの家族や血縁の、引いてはドミニカという国の暗部にぐいぐいと突っ込んでいくんですが。これがもうすごくしんどい。真正面からこれを見続けたらきっと正気ではいられない、そんな狂気の時代が描かれているんだけど、何故かそれを描くのにサブカルチャーの引用がドカドカと突っ込まれていくんですよね。
なんだろう、フィクションのような現実へサブカルチャーというカウンターを当てることで、その時代の「かたち」をあぶり出しているような。時代というものは「かたち」がなくて文化(カルチャー)や歴史によってしか時代は表現できないんじゃないかなと思うんですよね。透明で掴めないものに対して、サブカルチャーというとびっきりカラフルなボールを投げつけて時代の輪郭を浮かび上がらせようとしてるような、そんな感じ。
ちなみに指輪物語は読んだことがない(そういや映画も見てなかったな。。) のでその辺の引用部分はあんまりイメージが湧いてこなかったけど、バーで姉のロラがチンピラに絡まれた時にストリートファイターを引用した時はそこだけぐっとイメージの解像度が上がって、今までこんな文章ごとにイメージの濃淡の差ってなかったからすごく新鮮な読書体験だったなあ。なんだろうコマンド入れるとこまでイメージできたんだよ(笑)
ちょっとそれた。
それと作品全体に言及される、フクとサファという概念。多少は違えど、海外の文学作品の中にこういう禍と福(フクという読みで逆の意になるからすごく混乱した)に似たものがあるんだ、という発見がすごく新鮮だった。海外の特にキリスト教圏の作品は、映画もそうだけどお話のベースに聖書があったりして、そういう基礎がないと読み解けないんじゃないかなってあんまり海外の文学作品を読んでこなかった。(そうじゃないのもあると思うけどね)でもこういうのもあるんだなあ。
フクとサファもまた時代と同じように、はっきりと顔の見えない曖昧なものとして描かれているんだけど、それが個人から家族、国家へと階層を区切るのではなく滑らかにつながっていて独特の構造を持った物語になってる。その中で回っている因果が、神のような絶対者ではなく、なにか得体の知れないものによって動かされている、そういうお話のように捉えました。
いやーでもこれけっこう難しいな。SFみたいにすっきりした説明があるわけじゃないからな。こういうところが文学作品ってことなのかも。