「アイリス」

先週最終回を迎えた韓国ドラマ「アイリス」。韓国の情報機関NSSに所属する諜報員達と、北朝鮮工作員、そして謎の組織「アイリス」のメンバーが複雑に絡みあう諜報ラブサスペンス。で、間違ってないと思う。

スパイ映画と聞いて思い出すのはどのタイトルですか?007?ミッションインポッシブル?最近のだとボーンシリーズとか。これまでスパイ映画の主人公は、ほとんど欧米人でした。それはスパイ映画に必要なものがそうさせていたからです。敵国。スパイという役には自動的に潜入するべき国(または組織)が付随しなくてはならないのです。ただの「スパイ役」という役割は存在しません。まあ役割(ロール)に組織(構造)がくっついてくるというのは、別段スパイだけに限った話ではないですけどね。教師という役には、学校という枠組みが必ずついてくるように。ただこの構造がどんな役割よりも深く世界の構造に根ざしているのは、スパイをおいては他にありません。なぜなら、スパイはその世界に潜入することこそが役目だからです。学校以外でも教師役は語れるけど、敵国なしではスパイは語れないのです。そのスパイが立脚する為に必要な構造をもつ地域は、これまでヨーロッパとアメリカに限られていました。すなわち冷戦構造を持つ国です。*1
で、これです。前置きが長くなりました。このドラマを観ていて、なによりも「すごい!」と感じたのは「アジア人でもスパイものがやれる!」ということなのです。ああそうだ、鉄のカーテンはアジアにはないけれど、JSA*2があるじゃないか。東西じゃないけど、南北があるじゃないか。と、ここで韓国製ジェームズ・ボンドが出て来たら、きっと続けて観なかったでしょう。確かに、アクションの見せ方、音楽の鳴り方、役者の演出などはハリウッド系の大胆な表現をふんだんに取り入れているように思います。だけど、そこに韓流お得意の湿度の高いロマンスを突っ込んでくる過剰さ(いやいや、こんなに涙目になりながら戦うスパイは観た事ないよ(笑))、そして毎回毎回展開を盛り上げてから終わるあざといくらいの引きの強さ。そういう韓国ならではのものを、果敢に組み入れている。伊藤計劃さんは自身の映画評で、韓国映画「シュリ」(2000年)をこのように書いています。

ハリウッド映画の方法や作劇を徹底的に研究し、ほとんどコピーしたかのようなウェルメイドな映画。しかし日本の映画人にハリウッドの作劇がここまでトレースできるか、といえば、はっきり言ってそんな体力は誰にもないでしょう。少なくとも韓国映画界はこの映画が「出来る」、そして日本映画界には絶対に「出来ない」。
伊藤計劃記録」より

私の感想はこの批評がベースになっている部分がとても大きいのですが、10年前のこの批評の元に今回のこのドラマを観ると、韓国のエンターテイメントは既に次の段階に進んでいると考えてしまいます。ハリウッドのアクションと韓流ロマンスの乱暴な化学反応。さらに私を驚かせたのは、リアルな世界設定の盛り込み方。はっきり言ってしまいましょう。え、これってメタルギアソリッドと同じ感じじゃん!と。パクっているという意味ではなくて、あの資料を積み上げた感じ、(ただしこれには観客に悟らせない混ぜ込みのセンスが重要なのですが)そういう感じがあったんですよね。たとえば、第一話の主人公とヒロインが出会う大学の講義のシーン。あのシーンの意味は、単にヒロインの謎めいた魅力を強調するだけだと思うのですが、その二人の問答がケネディ大統領の暗殺に関わる陰謀論なんですよ。それがまたなかなか面白いというか、今思えばあのシーンで、その後の「アイリス」という存在をさりげなく伝えていたのかも。それと北朝鮮の高官が企てている「とある」陰謀なんかも、フィクションではあるけれどあり得そうな嘘のつき方をよく考えているなあという感じでした。そして何より「アイリス」という謎の組織の存在。あまり書くとネタバレしてしまうけれど、単なる死の商人の集まりという枠組みを越える何かを想起させる展開は(実際ヒョンジュンは何度か軍産複合体と指摘するけど否定されている)、今現存する世界をベースに「壮大な組織が世界を牛耳っているという陰謀論」というレイヤを重ねて見せているようで、そういう拡張現実的な物語構造の作り方の方が私は好きですね。

この嘘のつき方の巧みさは他にもあって、たとえば、NSS(国家安全局)という存在も、ありがちではあるけれど、ハイテクで武装しておきながらローテクで破られたり、衛星を使った捜査を見せておきながら、結局人間の記憶がキーになったりして、画的な見せ所とリアリティのバランスがよく取れているんですよね。そうそう、やっぱりスパイものは贅沢なハイテク機器でハッキング(笑)とかしてもらいたい。そういう意味ではストーリーにもスパイものの「見たいところ」がふんだんに盛り込まれててすごく良かったですね。何故か私はスパイものというと、要人暗殺(警護でもいいけど)が必須なんですが、何の影響なんだろう、これ。あと、よくあれだけ気合い入った拷問シーンやったなあ。観ながらボタンを連打したくなったのはあのゲームのせいだ(笑)それとアクションというか、潜入シーンもすごく良かったです。NSS内で一人でテロ部隊と戦うことになってしまったヒロイン、スンヒが隠れながら進んで行くシーンとか面白すぎました。ああ、これ、すっごく潜入してみたいわー。

それと個人的な楽しみどころをもう一つ。このドラマ、おっさんが本当に粒ぞろいなんですよね。一番きゅんとしたのは、北朝鮮高官のパク・チョリョンでした。トニー・レオン系の優しい顔立ちで激しくアクションする様とか、部下を気にかける時の優しい眼差しとか、静かに崇高な理想を抱いている凛々しさとか、素晴らし過ぎました。最終回の主人公キム・ヒョンジュンとバーで語らうシーンがとても色気があったなあ。ペク・サン局長は、あれですね。映画「ワールド・オブ・ライズ」でラッセル・クロウが演じた役と同じですね。韓国は年長者に敬意を払い、年長者は父親のように若年者を守る、というような文化だと思うのですが、彼の冷酷な判断の中にも次の世代への想いのようなものがあって、単なる悪役で終わらない複雑な味わいがあって素敵でした。擬似的な父親と二人の息子(ヒョンジュンとサウ)という関係もとても面白かったです。ていうか眼鏡が素敵。フロントは黒だけど、テンプルがグリーンのセルなんだよなあ。すごくオシャレ。それとパク室長。彼はあまり目立たないのですが、ドラマの終盤で間違った道へと進もうとするチン・サウに対して、実の弟のように思っていてとても心配している、と告白するシーンがとても熱かったです。こういう血縁を越えて親身になる、という感覚はとても馴染みますね。すごく良かった。ええと、キム・ヒョンジュンを演じたイ・ビョンホンさんもおっさんにさしかかろうという年齢ではあると思うのですが、役柄は若手に入るんでしょうなあ。ああ、イ・ビョンホンさんは世界一回し蹴りが綺麗ですね。あと腹筋。

気になったのが、吹き替えで時々NSSを「会社」と言っていたのですが、国家機関じゃなかったんだろうか?あれかな、PMCみたいに情報局ごと外部に出してるのかな。そういえば情報省みたいな上部組織があったような。

*1:それを考えたらボーンシリーズは内部構造に侵入するという自己参照的なものだったんだなあ

*2:共同警備区域。同名のパク・チャヌク監督の作品が素晴らしい