エイリアン3

映画「プロメテウス」を観て、あまりにも把握できなかったのでエイリアン見直し第三弾。監督はフィンチャーなのね。映画通向けのネタだけど「ファイト・クラブ」の中でキャメロン(「アバター」の監督)のタイタニックをぼろぼろにけなすシーンがあるんだけどフィンチャーはキャメロンが嫌いなのかしら。まあそれはどうでも良くて、前作のキャメロン版「エイリアン」が母性の戦いを描いていたとしたら、今作のフィンチャー版は母性のカウンターパートである男性性を描いているんでしょう。それも雄々しいものじゃなくて、もっとネガティブな方の。生物として強すぎる母性への劣等感とか卑屈な感情が、「男性のみが収容されている監獄」という舞台にリプリー1人が立ち向かうという構図に現れているような気がします。それとフィンチャー監督の味の一つである希望のない展開というか、この人は本当におためごかしが嫌いなんだろうな。そういう点ではキャメロンと対称的だなあとおもいますね。だからかフィクションがすごく荒っぽいというか主人公のリプリーですら最後まで生き残れるのか不安になるくらい圧倒的な状況を設定してるんですがこれも計算のうちというか、ちゃんとその中でリプリーの最後の決断に至るまでのステップは踏んでいるのは面白かったです。ちゃんとエイリアン3の3(単なるシリーズ3作目ではなく、タイトルをよく見るとエイリアンの3乗になっている)の意味を持たせてたしね。それとテクスチャというか、画面の創りがすごくきれいなんですよね。全体的に暗くてマットなんだけどそれがすごくクールに見えました。あと、エイリアンで一番記憶に残っていた「リプリーが今にも喰われる」シーンはこの3だったのね。