25時のバカンス

25時のバカンス 市川春子作品集(2) (アフタヌーンKC)

25時のバカンス 市川春子作品集(2) (アフタヌーンKC)


何年か前の年刊SFに掲載されていた「日下兄妹」が、優しいタッチの絵柄で人間の繊細な部分を丁寧に描いているのがすごく素敵で印象に残ってました。


  • 25時のバカンス :異なる生き物としての姉弟

弟はいつの間にかでかくなっている。弟居るんですけど、いやほんと、おまえいつそんなんなった?と思うんですよね。でもこれ逆から見たら、なんでこいつこんなにちっちゃいんだ、と思っているんじゃないかな。別に縮んでるわけじゃないんだけど。異性の兄弟の距離感はちょっと説明が難しいです。普通、他人の異性との出会いはある程度成長して自分の性を意識してから出会うものですが、異性の兄弟はそれ以前にそこに存在していて、異性として向き合うことは、まあほとんどありません。(ないとは言わないけど、この作品のテーマではないと思う)ではそんな異性の兄弟とはなにかというと、それは異生物なのではないかと思うんですよね。女性でも男性でもない生き物でありながら、血縁的に近いために互いに守ってやらなければと考えてしまう、非常に面倒くさい存在。目の前の弟はどこからどう見ても立派な成人男性であるにも関わらず、それは性的な意味での男性ではない。男性の性の部分が抜け落ちた、男性のように振る舞うなんだかよくわからない図体のでかい生き物、それが弟なのです。逆に姉という存在もまた、弟から見ると謎の生き物なんでしょうね。
この作品ではそういう比喩と異なる生物そのままの意味の両方で、姉弟を異なる生き物として描かれています。べたべたした兄弟愛でもなく、近親相姦の一線に近づく緊張感を持ちながら、どちらかというと冷淡に描ききっているところは絶妙でした。例えば前編9ページ目の、久しぶりに再会する姉と弟の挨拶は顔も合わせずにそっけなく声をかけあうだけですが、ここがすごくリアリティがあるんですよね。そこそこ長く一緒に暮らしてきた者どうしの「だいたい分かってる」感じと、離れて暮らしてからの距離感(この姉弟はほとんど連絡を取り合っていません)、その空白の時間をそれとなく探るよそよそしさが同時に存在しているように思います。
異なる生物としての姉弟という設定も、世界で二人きりしかいないという孤独感の共有が、幼い頃の思い出の共有というごく普通の兄弟が持つ部分とリンクしてすごく良かったです。前編46ページ目の、暗い海で弟が「おばけきょうだいになっちまったなあ」と、普通であることを諦めたように呟くシーンから続く一連の流れは、そんな孤独感と、世界から疎外され二人きりになったことによる奇妙な安らぎ、そしてその安心に浸る背徳が描かれていると思いました。それでいて耽美になりすぎないんだよね。すごい。


  • パンドラにて :自由へ逃避する異なる生き物たち

この作品に登場する少女たちはとても弱い存在です。彼女たちは環境的にとても恵まれていますが自由がありません。箱のような逃げ場のない場所に閉じ込められてそれでも粛々と日々を送っています。彼女たちは細々と虚ろな毎日を送らざるを得ません。箱入り娘は自ら望んで箱に入っているわけではないのです。きれいに飾り付けられて箱の中に並べられているに過ぎないし、彼女たちはそのことを自覚しています。この短編はその箱をぶちこわすという男性的な選択をしません。また箱の中で美しく飾られた娘たちが生き残りをかけて血みどろの争いをするわけでもありません。彼女たちは互いに手を差し伸べて、お互いを助けようとするだけです。その身体も含むゆるやかなつながり。女性は同性を自分の延長上にあるもの、という意識の持ち方をよくするそうですが(母と娘の関係など)、これはそのベクトルが逆になったものと考えられそうです。自分から相手の一部になること。外殻を失った少女たちという混合体は、箱から溢れ出すことで箱から逃げ出します。でもどこに居てもどんな状態でも彼女たちは幸せなんだろうなと思うんですよね。お互いがそこに居るというだけで、箱の中でも笑っていられたから。


  • 月の葬式 :逃避から回帰する異なる生き物たち

この作品に登場する男性たちは逃げてきたものたちです。そしてこの男性たちは「パンドラにて」の少女たちとは逆に、外殻を取り戻そうとします。生きる希望、生きる目標を失った者どうしが、お互いに希望と目標を与え合う。それは身体的な結びつきではなく「25時のバカンス」の姉と弟のように、互いに守ってやらなければと考えてしまう、そういう精神的な結びつきの方だと思います。この作品、もしかして最後は…と思ったのですが、なんだろうこの強引さというかこの結末のちょっとした大胆さ、安易な耽美に傾かない誠実さがすごく良かったですね。




そういえば、円城塔さんの「後藤さんのこと」文庫版の表紙絵は、この作者の市川春子さんなんですね。と、この前気がつきました。一緒に本棚に並んでるのに…。このちょっと不思議なふんわりした感じは、円城塔さんのゆるふわな作風にぴったりだなと思います。というか円城塔さんの作品を絵で表現できる漫画家さんが居る日本の漫画業界すごい。「後藤さんのこと」に収録されてる「天球墓標」とか漫画化しないかなあ。あの作品のちょっとファンタジーめいたイメージが彼女の作風にすごく似合うと思うんですけどね。