天冥の標 9 PART2 ヒトであるヒトとないヒトと


9巻の最終パートです。展開めっちゃ熱い。

ネタバレ










さて。何から書いたら良いのか、いろんなことがありすぎて、それでいてきちんと一つの結末へとたどりつく流れがすごすぎて、どうしよう。
まずは前巻に続いて、カドム、イサリ、アクリラの3人の活躍がめちゃくちゃ良かった。なんなのこの最強トリプル。これまで死にかけたり、凍結されてたり、肉体改造されたりと苛酷な経験を強いられてきた3人が、それぞれの本分を取り戻して最大の力を発揮するわけですよ。これが熱くなくてなんだというの。
先祖代々の連絡医師(リエゾンドクター)と交渉役を担うカドムの重大な局面に立ち向かう凛々しさとか、アクリラの勇ましさとカワイイがごっちゃ混ぜのテンションの高さとか、イサリの肉親と対立しなければならない切なさとか、ものすごく大盛りなのにどれも美味しく楽しめてしまうんですよね。
特に今回印象に残ったのは、カドムが救世群(プラクティス)と対話を試みる時に「本当の名前」で呼びかけたシーン。鳥肌立つくらいめっちゃかっこよかった。あのシリーズ冒頭でちょっぴりぼんやりとした感じだったカドムが、こんなにかっこよく見えるなんて(笑)
それと後半、ミヒルの元へと向かうアクリラとイサリの協力もドラマチックだったなあ。カドムを挟んで2人はどうなのかな、と思ったけどわりと仲が良さそうでよかった。



今回のテーマは、ヒト。章題にもあるとおり、ヒトであるヒトと、そうでないヒト。このシリーズの世界ではヒトは様々に多様化しています。カドムは恐らく、現実の世界の人とあまり変わらないけど、イサリたち救世群は体の表面が硬殻化していて体格も大きいし、カドムよりも身体能力がはるかに高い。アクリラも帯電できる得意な体質の一族だし、イサリほどではなくとも戦闘能力が高めなんですよね。
このヒトであるかどうか、ということをどこで線引きすれば良いのか。救世群はヒトではないのかヒトなのか、そうしたらアクリラたち海の一統もまたヒトではないのか。それを定義しようとするのが、奉仕するために作られた人造人間の恋人たち(ラバーズ)。彼らには「ヒトに尽くすことが喜び」という本能があります。そんな彼らがこれだけ多様化したヒトをどう判断するのか、それが今作のキーになっていると思うんですよね。ヒトは同種に対して同情的である一方、ヒト以外にはどこまでも冷酷になれる生き物です。救世群とカドムたちメニーメニーシープ(MMS)人の諍いは、お互いがヒトではない、という思想から来ている。MMS人は敵がそもそも元ヒトであることを知らないし、救世群はMMS人を非感染者と呼び、激しく憎んで侮辱している。言葉は違えど意思は通じる相手なのに、それができない。
その深い溝になんとか橋を架けようとしているのが、カドムなんですよね。私とあなたは互いに同種のヒトなのだ、という言葉を相手に届けること。イサリは同胞を説得するために危険を冒して救世群の本拠地へと戻り密かな活動をするんですが、これもカドムと同じ思いなのだと思うんですよね。
ヒトであるヒト、対話が可能でお互いに友好的な関係を築くことができると思えるなら、ヒトと呼べるのかなあと思います。