忘れられた巨人

今をときめく、カズオ・イシグロ作品です。ちょっと前に日本語訳が出ていたのですが、今回出版された文庫版で読みました。
実はこれ、洋書で第一章までは読んでいたんですよ。でも、大まかなあらすじは読めても文学的な楽しさを読み取るまでの読解力がないので、ちょっと停滞気味でした。それにあのカズオ・イシグロ作品ですよ。うかつに読んでると「あれ?」となってしまう罠があったりするので、やっぱり日本語で読んで良かったです。

さて。お話の舞台は、鬼や竜、魔術が存在する架空の中世頃のイングランド。村を出て行った息子を訪ねるため、アクセルとベアトリスの老夫婦は旅に出ます。しかし、彼らはなぜ息子が村を出て行ったのかが思い出せません。それは二人が年老いたから、というだけでなく国土全体が「忘却病」とでも言うような呪いにかかっているからです。息子の消息を追う旅はいつの間にか呪いの真実を追うものへと変化し、二人は様々な人や出来事に遭遇する度に過去を少しずつ思い出して行きます。


いま自分がここにあるのは、過去があってその集積として存在しているから、というのは普通の自己の在り方だと思います。過去を覚えておくこと、歴史を記しておくことは人でなくとも国家としてもそれらの結果としてそうある、という証明なんですよね。私がこんな人間なのは、過去のあれやこれやが影響したりしなかったりしているから。
それを忘れ去ってしまったら、私は私ではなくなってしまうかもしれない。全然別の、違う言動や思考をしているかもしれない。
でも、今の自分が絶対に良い、というものでもなくて中にはつまらないことにこだわっている自分がいたり、悪癖を覚えてしまた瞬間も過去にはたくさんあったはずで、そういうのは忘れてもいいと思うんですよね。
なんだろうね、これを読んでいると過去を忘れたらいいのか悪いのか、よく分からなくなってくるんですよ。絶対だと信じている絆が、ささいな思い出に揺らいだり、ある瞬間は本当にこれは永遠だと信じられたり。霧が晴れたり立ち込めたりするように、自分自身への信頼、長年連れ添った相手への信頼、それがくるくると変化していく。そしてそれに対してできることは、ただ受け止めることなのかもと思います。一つの絶対的な記憶にしがみつくのではなく、過去を受け入れて自己を改変していくこと。二人は様々な、苦い記憶も思い出していくんですが、それでも相手と共に在ろうとする姿勢が印象的でした。
それでいてあのラスト、いろんな意味に取れるあのシーンは素晴らしかった。あのアクセルの行動は「私を忘れないで」というベアトリスの願いに忠実だったと思います。