ブレードランナー2049

観てきました。

そんなにブレードランナー自体には影響受けてないと思うんですよ、個人的に。ちゃんと見たのもかなり後になってからだし、その時も「ああ、これがあの」っていう感じで。でも、この映画に影響を受けた作品にはすごくたくさん触れているんですよね。作品というかクリエイターというか。原典のフォロワーの、さらにフォロワーであるわけです。熱狂的なファンではないけれど、やっぱり「あの」ブレランだなあ、ということで観ました。


で。一言で言うと「アンドロイドの悪夢」。原作の「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」というタイトルにかなり忠実なストーリーじゃないかなあと思うんですよね。
このストーリーの主人公である捜査官Kはとても孤独です。唯一その生活の傍らに存在するのは、女性型パーソナルAIのジェイだけ。それも誰にでも手に入る市販品で、彼だけの特別な存在、というわけではありません。そして彼自身もまた特別な存在ではなく、代用品が存在するただのアンドロイドです。でも、彼には一日の終わりに安らぎを求めたり、自分自身の記憶を拠り所にするとても人間らしい一面もあるんですよね。造られた存在であるのに、その存在のあり方は人間と同じか時にはそれ以上の感情の揺らぎを見せるなど、単なる感情がない人造物ではないわけです。
そんな彼の悲しいところは孤独というのもあるけれど、人生(アンドロイド生?)がないことなんじゃないかと思うんですよね。彼の過去は移植されたものだし、彼の未来は消耗品のように使い捨てられるか、新たな新型に処分されるかのどちらか。その瞬間瞬間だけを生きてやり過ごすだけで、これが自分の人生だと言えるものをなにも持っていない。自分で選び取った特別なものを持たない存在なんですよね。
これはそんな彼が特別ななにかを手に入れる物語。そしてその代償として、人間の社会からもアンドロイドの同胞からもはぐれて何者でもなくなる物語。この対比がとても美しいと感じる作品でした。