たまにはお題で書いてみるっていうこと

今週のお題「SFといえば」

 

今回はお題で書いてみます。SF、好きなんですよね。

 

ちょっとこれまでの自分のSF歴を振り返ってみたけど、小説も映画もその時々で「といえば」的な作品があってなかなかオールタイムベストなものって決められないですね。強いて言えば若い頃からずっとサイバーパンクというジャンルのSFが好きかなあ。サイバーパンクっていうのは、高度なコンピュータテクノロジーサブカルチャーが融合した文化や政治を舞台にした物語ジャンルのこと。小説では「ニューロマンサー」とか、映画では「ブレードランナー」とか、ゲームではそのものずばりな「サイバーパンク2077」とかですかね。特にゲームはここ最近、ちょっとしたサイバーパンクブームが来てる?感じがしていて、ねこちゃん視点で都市を徘徊する「Stray」とかも出たしね。これ、早速やってみたけど雰囲気もよく作り込まれてるし、何よりねこちゃんになりきっていろんな場所にぴょんぴょん飛び移ったりできるのが楽しい。ねこは飼ったことないけどよく動画とかで見る、机の上のものを落とすとかなんでそんなことするのかこのゲームをするとよく分かるね(笑)操作していると無駄に落としたくなるんだよ、あれは本能みたいなものなんだろうな。

 

話がずれた。個人的にはSFといえばサイバーパンクなんだけど、どういうところが魅力的なのかちょっと深掘りしてみようかな。
まずはコンピュータテクノロジーに下支えされる世界が現在と地続きな感じで好きなんですよね。「企業のネットが星を被い、」と攻殻機動隊の冒頭のテキストにあるように、現在のこの世界的なネットワーク環境との近似とも言えるし、さらにフィクション的にはこのネットワークに個人の電脳がつながる、という「その先」を見せてくれるんですよね。他にもAIなどの機械知性が政治に関与するエピソードを描いた小説「ビートレス」もそうだし、テクノロジーがほとんど暴力的に世界の有り様を規定する、というところに何かフェチにも近い魅力を感じます。
一方でそんな世界においても個人の人生は続いていく、個人の普遍性というところがフィクション的なフックなのかなあ。高度なテクノロジーで人間の物理も精神もどんどん変容していって最後に残るもの、あるいは削ぎ落とされていく「人間らしさ」の儚さ、みたいなところにぐっと来るんですよね。
ゲーム「サイバーパンク2077」だと、テクノロジーで生かされた主人公の「生き方」そのものがプレイヤーの選択と重なる、という点が素晴らしいし、「ブレードランナー」はそもそも人間ではないモノたちによる「人間らしさ」がなぜかホンモノよりも真に迫る。

 

私にとってはこういうジャンルのお話が、何かピンと来るものが見つけやすいのかもしれません。
ああ、そうだちょう有名な「スノウ・クラッシュ」をまだ読んでいないんだった。最近は昔の小説も新版で出たりしてうれしい。この恩恵を受け取らないと。

 

 

 

 

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