シン・ゴジラ

観てきました。もはや説明不要のゴジラ映画。


ゴジラという未曾有の巨大生物が東京を襲ったら。ゴジラが何を象徴しているのかはここではあまり問題ではなくて、人間の意図とは別のものがこちらを破壊する時の人間の側の物語に終始する映画です。
行政はどう動くのか、集団意志形成の過程、人道と戦略の間で揺らぐ判断、そして対抗する力としての科学。観ていて改めて気づいたけど、ゴジラという映画は最終手段として核を使用できない映画でもあるんですよね。ハリウッドではおなじみの切り札も、この映画世界では別の手段を使わなければならない。核という銀の弾丸がないのなら、それに代わるものを創り出す。その科学力がこの映画の魅力だなあと思うんですよね。
この映画、ゴジラと戦うよりも政治的な駆け引きのシーンが多いんですが、その中でも落ちこぼれ研究者チームが奮闘するところがいい。普段は地味で表立たない専門分野の人たちが緊急時に招集されてその能力を遺憾なく発揮するって、観てて楽しい。


ついていけないというほどではないけど、テンポ良くというよりはちょっと病的な速さで切られるカット、滑舌をほとんど意識しない、むしろ意図的に不明瞭ですらあるようなセリフのやりとり、その割に戦術シーンがやたら丁寧な奇妙なバランスがとても印象的でした。あと、人間関係の微妙なシーンに差し掛かるとズームアウトしていくのは…なんでなんだろう。


ネタバレ




怪獣映画でおなじみの自衛隊のみなさんの活躍もとても良かったんですが、戦車や戦闘ヘリでは撃退できなかった代わりに、建機が活躍する終盤のシーンがすごく良かったです。なんだろうね、モノを創るための力でもって対抗するという部分に日本的なものを感じたのかも。コマツさんやliebherrとか知ってる建機メーカーが出てきて楽しかったなあってだけですが。
でもアウトリガー出しっぱなしで動いちゃだめ。

映画の中では死亡した人たちの描写は限りなく抑えられています。ゴジラが通過した現場を視察した主人公がそっと手を合わせるくらいで、あとは被害状況として数値や情報が時々出てくるくらい。でも、映画が見せない部分で人は死んでいるんですよね。それを表現しているのがラストカット。それまで怪獣映画としての娯楽性をたっぷりと魅せながら、守りきれなかったもの、犠牲となったもの、
あるいはゴジラという神的な存在への生贄となったものを、たった1カットですべて表していると思うんですよね。
ここを読めるかどうかが、映画を見る側に試されているようなそんな映画でした。