ゼロ・グラビティ

!!! ネタバレが含まれています !!!









何から書いたら良いのか。あ、ペンがくるくる回りながらぷかぷか浮かんでましたね。酸素がなくなりつつある中で必死に辿りついた国際宇宙ステーションのエアロックで宇宙服を脱いだストーン博士(サンドラ・ブロック)が胎児のように丸くなったり映画「2001年宇宙の旅」へのオマージュが散見される映画でした。もちろん表層的な部分だけではありません。「2001年〜」が人と星の一生を同時に描くことで、人間の存在もまた宇宙の一部であること、星もまた人と同じように生と死があることを示した傑作であるように、この映画も宇宙と人とを同じスクリーンに映すことで、その価値を等価にしてみせた宇宙映画である、と思います。


宇宙には重力がありません。宇宙ではすべてのモノが頼りなくふわふわと浮かんでいて、ちょっとした作用が消滅することなくほぼ永久に保たれます。宇宙遊泳は重力から解き放たれてワルツを踊るように軽やかです。そしてそんな宇宙に浮かぶ地球は、息をのむほど美しい。頭上に広大な大地を、大気の荒々しい渦巻きを、真っ青な大海原を感じながら宇宙飛行士たちが漂う様はまるで夢のようです。
でもそこは生身の人間が生存することの叶わない、ヒトを拒絶した場所です。自分の手の何倍も大きな手袋や頑丈なヘルメット、巨大な生命維持装置を背負わなければ数分と経たずに人間は死にます。彼らがどんな業績を残した英雄でも、家族がいてもいなくても。無重力の宇宙空間は人生の物語の舞台には寂しすぎる場所です。人生の物語は重力のある場所で描かれています。重力がなければ生命は産まれてこないそうです。卵子が子宮に着床するためには重力がいるので。ストーン博士の娘は重力がある場所で幼くして死んだ。そうやって人の生と死は重力の中で繰り返されているんですよね。
だからこそ、その二つが同じスクリーンに映し出されると美しく際立つんだと思うんですね。宇宙の中の弱く脆いヒト、大勢の人が地表で笑ったり泣いたりしながら、日が昇り暮れていく重力の中心、地球。これらは同じだけの価値がある、ということをこの映画は示したのだと思います。



あーうん。なんだろうこういう書き方でもいいんだけど、一番感動したところをなんとか書き残しておきたいと思います。ストーン博士がソユーズで大気圏に突入して、ソユーズもまわりのゴミも一緒に燃えながら上空を流星のように横切って行くシーン。あと数分で燃え尽きるか、無事に地表に降り立つか、二つに一つの分かれ道の中で彼女はここまでの過程を「結果がどちらでも最高の旅だった」と言います。それは事故発生からここまでのことでもあるし、娘を失くした彼女の人生のことでもある。もしかしたら地球の命はこうやって宇宙のどこかから遠い旅をしてきた「なにか」だったのかもしれない。それらが全部重なって見えたような気がして(そう思ったのは観終わった後ですが)涙が止まらなかった。
それが地表にたどり着き、地球のどこかの水辺から這い上がって、そして立ち上がったのが人類なのかもしれない。
そんなふうに思いましたね。