いろんな意味で複雑だったなっていうこと(映画「オッペンハイマー」)

クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」観てきました。日本での公開までかなり時間がかかってましたが、映画館の音響や大きなスクリーンで観られて良かった。

 

映画の大筋はタイトルでもある、「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーの、主に戦時中から戦後にかけての時代を取り上げた内容です。

が、これがとても「複雑」でした。というものの映画の構成はシンプルで、オッペンハイマー自身の視点(画面がカラーで表現されているカット)、敵対するストローズの視点(ロバート・ダウニーJr.が演じていて、画面がモノクロで表現されているカット)が分かりやすい。んだけど、カットがめちゃくちゃ速くてたまにどっちの査問会だっけ?となってしまってそこが複雑さの1つ。

このパートは天才で共感性に多少難のあるオッペンハイマーと、凡人でありつつ他者への共感を武器に成り上がろうとするストローズの対比がすごく良い、というかストローズの方に感情移入しちゃって、ここはロバート・ダウニーJr.の嫉妬や承認欲求に塗れたドロドロした部分を感じさせつつもさらっとそれを表情や仕草に乗せていく、そういう演技がハマってて良かった。

一方、オッペンハイマーの方は「計画」を率いていた時の誇り高い科学者ではなく、身近な人たちを大切にしたりしなかったりと気まぐれな気質や矮小さが目立っていてこれもすごく説得力のある「情けなさ」を、主演のキリアン・マーフィーが演じていてこちらも負けずに良かったです。

この査問会や委員会のパートだけでも二人の間にいろいろな思惑が交差した緊張感が垣間見えてて、さらに二人の間だけじゃない国家や世界といった大局の事情も絡み合ってとんでもなく複雑なシーンの連続でした。複雑ではあるんだけどちゃんと魅せるんだよね。そこがこの監督のすごいところ。

もう一つは、マンハッタン計画に関わる科学のパート。ここはこの映画の華とも言うべきところで、物理の教科書に出てくる超有名な科学者がゾロゾロ出てきてめちゃくちゃ楽しかった!アインシュタインと一緒に歩いていたゲーデル、ボーアにフェルミ、クリスマスプレゼント(笑)のハイゼンベルグ。物理の定理や公式に名を冠する科学者がさながらメドレーのように登場しつつ、計画がさまざまな障害を乗り越えて完遂する様が活き活きと描写されていて当時の科学者たちの葛藤や心情、倫理的な危機がすごくドラマチックでした。そういや、量子力学というかSF好きにはお馴染みのシュレディンガーは出てこなかったな。。それとも出てて気づかなかったのかな。シュレディンガーが観測できなかった(笑)

そういう楽しさの一方、この計画の結末を想像しない訳もなく、彼らが一つの課題をクリアする度にあの日が近づいてくる度に、科学技術が世界を変えていくことの楽しさ、そのことの後ろめたさも感じました。これがもう一つの複雑。

この科学のパートであの日を境にオッペンハイマーが抱いていた罪の意識を観客にも抱かせつつ、査問会や委員会のパートでその罪の所在を問う映画であったと思うんですね。ちょっと言葉にするのが難しいんだけど、ストローズがオッペンハイマーに対し「あいつ一人を悲劇の主人公にはさせない」とか妻のキティにも「一人で抱え込んでそれで許されようなんて思うな」みたいなことを言われるし、彼自身の罪が、科学者のさらには人類の罪というように、個人から離れていくんですよね。彼は原爆を作り上げた罪そのものを感じていた*1と思うけど、それが自分だけのものではないということに焦燥のようなものも感じていたのではないかと思いました。

 

なんとなく観ながら「いろいろ複雑だな」と思った感じをまとめてみました。この複雑さを保ちながら三時間くらいあるからね。なかなか大変な鑑賞だけどこういう大変さは好きだな。全然読み取れていないところもあるしまたちょっと間を置いて観たい映画です。本も出てるみたいだしそっちも読むかな。。

 

*1:被爆国から見ると原爆による被害の描写が極端に少ない、という意見もあると思うけど例えば計画の成功を祝う講演で黒焦げの死体を幻視する他、そのシーンの音を聞くと祝福の歓声とも原爆による負傷の悲鳴にも聞こえるし、会場を後にする彼が通り過ぎながら寄り添う二人や会場の外で嘔吐する若者を見るのだけど、被災して支え合う人たちや熱線で負傷した人の姿をそこに幻視していたんじゃないかな。映画的な手法で地獄がそこにあった、ということは表現されていたと思います