ゲームの予告編をみるともう一回やり直したくなるよねってこと

今回の更新はゲームの話と伊藤計劃さんのこと、の二つでお送りします。

 

えーと、ちょっと前になっちゃったけどゲーム「デス・ストランディング2」のトレーラー(予告編)が出ました。

DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH 

youtu.be

 

不気味なタールや穏やかではない人の死を感じさせる悍ましいシーンの中にも、どこか目が離せない奇妙な魅力のあるカット、そして「いつもの」思わせぶりなキャラクターたちのセリフ。いやー始まりましたね!小島監督作品はいつだって予告から既に「ゲーム」が始まってるんですよねー。

今回の予告編、気になるのはヒッグスと謎の剣士のバトルシーン。ここ、Redditのコミュニティでも話題になってるの見てて、ほんのり脳裏にサイボーグニンジャ(メタルギアソリッドに登場する外部骨格で強化したサイボーグ兵士)を想像した人が多かったみたいで、例外なくわたしも思い浮かべました(笑)

あと、ヒッグスが前作からさらに訳分からない方向にトチ狂ってて楽しい(褒)なんでギターから電流出るんだ。しかも割と高電圧。

お話の方は、前作で北米大陸を繋ぎ直したサムが次はメキシコを始めとして南米大陸方面?を繋ぐというこれまでの延長線上のものと、前作でずっと一緒だったポッドの中の胎児に関わるお話の二つのストーリーが予告から見えてきました。

これまでの「大陸を繋ぐ」というテーマの方は、これまで繋いだエリアは既に自動化がされているのでその外側へと向かい、前作で政府機関の役割を果たしていたUCAにも内と外という区分ができているみたいで、外側と内側という視点がありそうに思えました。こういう似たようなゲームの操作にも、続編では別の意味合いを持たせるあたり、MGSシリーズのメタルギアの扱いがMGS4では特別でもなんでもない普遍化した兵器として出てくるとかそういう例もあって、こういうところが小島監督作品だなと思います。すき(突然の告白)

ポッドの胎児に関わるお話の方はキャラクターの思わせぶりな台詞で意図的なミスリードもありそうだな、と思いつつやっぱりええ!?どういうことなの?ってなりますね。。というかポッドがあるからサムはBT(空中をゆらゆらしてる不可視の存在で、接触すると「あっち」に引き摺り込まれる厄介な敵)を可視化できてたんだけど、今回はもうポッドもないしどうするんだろう。。あと前作の胎児は誰だったんだ。。

 

発売は来年2025年とのことなので、それまでもう一回北米大陸をつなぎに行こうかな。。あのゲーム、ほんとやめ時が分からなくてずっと配達しちゃうんだよね。

 

ちょっと話題を変えて。

伊藤計劃さんのエッセイ「侵略する死者たち」を読んでいて、冒頭がとても印象的だったので引用してみます。

我々が死者に安らかであれ、と願うのは何故だろうか。それは死者が往々にして安らかではないからだ。

伊藤計劃記録 侵略する死者たち

こちらのエッセイは映画監督スピルバーグの作品歴の転換点に「ミュンヘン」と「A.I」を仮定し、死者の側(彼岸)や死のイメージがどのように彼の作品の根底に存在しているかを見出したテキストです。ちなみにここで既に「死者の帝国」というその後の伊藤さんの作品への言及もちらりとされているのも楽しい。

で、スピルバーグ作品とはまたちょっと違うことを考えていて、それはやっぱりデス・ストランディングのこと。このゲームは安らかではない死者が世界に満ち、生きている人間が地下へと逃避を余儀なくされ分断される物語。

死者のイメージが人の記憶に寄生し生きている人間を呪縛することを描いたスピルバーグ作品に対し、小島監督作品であるデス・ストランディングは死者の侵略が現実への影響力を持って現れた世界を描いているんですよね。

この死者が満ち溢れた世界、この死者はこちら世界に臍帯(へその緒)のようなもので繋がり、それを断ち切ることであちらの世界へと戻っていきます。これはあちらの世界に生まれ直している、とも解釈できる表現で死者と生者が表裏一体でもしかしたらこちらの世界が死者の世界なのかも、という錯覚すら覚えるほど。

それにこの物語、分断された都市を「繋ぐ」ことと、この世界と死者(BT)を断ち切る(実際ゲームでもカッターで切るアクションがある)こと、この切って繋いでの二つの側面があるんですよね。断ち切られた生者の世界を繋ぎ、この世界に繋ぎ止められた死者を断ち切ってあちらへと戻すこと。

スピルバーグの作品世界とは異なるけど(当たり前)、死が人に影響を与える、という起点からこんなに明確に死が世界に大きな影響を及ぼすところまで外挿する(そしてそれは全人類が避け得ない、終盤のイベントに到達する)小島監督の創造性すごいな、と改めて思いました。