最近見た映画とか読んだ漫画とか

先週はお休みしてたので二週間ぶりの更新です。

そういや先日久しぶりに明るい時間に外に出たんだけどずいぶん日が長くなってて、よく考えたら今月はもう春分の日なんだよね。そりゃ日も長くなるわ。あと『久しぶりに明るい時間に外出た』ってなんだかめちゃくちゃ不健康な人みたいだけど、昼間はほとんど家に居るってだけで起きてるし窓というかカーテンも一応開けてます。。開けてても気づいたら日が暮れてるんだよな。

 

最近見た映画

このブログ、『このブログについて』のところに映画の感想ブログですって書いているのに全然映画の感想書いてないので、ちょっと見直ししようかな。昔は拙いながらも結構書いてたんだけどね。。

 

まあそんなことはさておき、久しぶりに映画を観てきました。

デューン 砂の惑星 PART2

PART1も当然観てて、今本も読み進めている作品なので楽しみにしてました。

いやーすごいね。PART1でも巨大な宇宙船やら香料の採集マシンがズドーンと出てきてそれだけで楽しかった(デカいものがすき)のに、PART2ではいよいよ砂漠の主であるでかい砂虫が登場だよ!PART1でもチラ見せでそのデカさの片鱗を見せていたけど、とうとう出たね!虫全般ちょっと苦手なんだけど(口とかぞぞっとするけど)、あのデカさの前には気にならなくなったね。いやでも本当にあんなの目の前に居たら白目むいて倒れるけどね。。

それと香料を採取するマシンのデカさもいい。PART1にも出ていたけど今回のはちょっと風船ぽい部分とムカデっぽい脚の部分が特徴的なやつ。あれか、ムカデっぽい脚は砂に含まれる香料を巻き上げているのかな?北海道の方では路面電車の除雪用に、似たような機構のささら電車ってのがあるんだけどなんかそれを思い出したよ。

なんかデカい話ばっかりだけど、見た目のデカさもあるしこの映画、結構音響やスコアにも重低音が印象的に使われていて、大きなスクリーンと家では味わえないサウンドの両方が楽しめて良かったです。

あと、やっぱり砂漠の民フレメンの文化や信仰が興味深かったな。水がほとんど存在しない惑星ならではの生死観は独特だけど理解できるところが面白いし、砂の主が神格化してたり外の世界から救世主がやってくる、というあたりは文化研究の分野でなんか聞いたことあるな、とか刺激されるんですよね。そしてそういう鑑賞に耐えうる強度を持つ物語世界でもあるってことなんだと思います。

文化的な一面でありつつ今作最も見応えがあったのは、フレメンたちが闘うシーン。砂地を有利に使い潜み、機を逃さず敵陣へと一斉に駆けて次々と倒していく勇壮なシーンは本当にぞくぞくしたわ。ちなみにフレメンも敵陣も銃を使っている描写はないんだけど、香料が可燃性高いのかな?(採取地以外では銃も使われているように見えた)その辺は小説とかに書かれているのかも。

キャストについても少し。

主人公ポール役のティモシー・シャラメ、前作では細っこくて頼りない感じだったけど今作では砂の民たちを率いる指導者としての威厳や風格を身につけつつ、たまに繊細な表情を見せるあたりが絶妙ですごく良かった。

あと、ラッバーン(敵方ハルコンネンの甥)がどうしても「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のドラックスにしか見えなくてめちゃくちゃ混乱したわ(笑)

劇中に名前を呼ばれることがなくて分からなかったけど、プリンセス・イルーラン役がMCUのブラック・ウィドウの妹役の人だったんだね。ドラマの「ホークアイ」で印象的だったけど気づかなかった。というかプリンセス・イルーランは小説の方で章の始まりに彼女の書いた本が引用されてるから後で本を書くんだろうな。映画でもその資料的な感じで現状の所感を記録装置に残すシーンがあったしね。

さて、次を楽しみに待ちつつ小説の方も読み進めて行こうかな。

 

 

 

最近読んだ漫画

ゴールデンカムイを読み続けていてようやく十巻まできました。大雪山系ビバークするところまで。

 

 

 

 

そういやアニメもあるんですよね、ゴールデンカムイ。何シーズンかやってるみたいなので漫画読み終わったところは観てみようかなと思ったんだけど、アニメ、どこまでの区切りなのか分からない!ので漫画全部読み終わってから観ようと思います。ちらっと調べたら声優陣が豪華なので楽しみ。

 

この漫画、大筋のストーリーはあるし杉元とアシリパさんの二人が主役という軸はあるけど、群像劇の一面を持っていてそこがけっこう面白いなと思うんですよね。というのも、この漫画の多分最後の方の連載中にたまたま旧ツイッターを見てたら、あるキャラクターが死ぬ展開があったらしくファンの方のツイートを見てみたら、ただお気に入りのキャラがいなくなって悲しいというのではなくそのキャラの生い立ちや過去、作中の行動を細かく読み取った上でこの死はこのキャラにとってどんな意味があるのか、という批評(良い点も悪い点も見出しそれらに意味を付与すること)に近い感想を見かけたんですよね。で、実際読んでみてこの漫画にはそういう、キャラクターそれぞれに語り得る強い個性があるな、と。

さて、ここまで読んできていろいろな個性のキャラクターが出てきたんですが、今時点では東北の元マタギである谷垣と、日露戦争から戻った鶴見が興味深いですね。

谷垣は個人的な復讐心を持って戦場に赴き、偶然にもその復讐心の拠り所を失ってしまう。熊を殺す職業を捨て人を殺す戦場で意味を失った彼は、命を救ってくれた他人のために、自分自身へは喪った近しい人への追悼の意味を込めて行動を起こします。この漫画、他人のためか、自分のためかどちらかに寄った動機で行動するキャラが多いように思うんですが、谷垣は他人への理由も自分への理由もどちらも持っているキャラなのかなと思うんですよね。あと、彼の生まれ故郷の方言が私の地元とかなり近いので親近感があるんだよね。

鶴見は日露戦争において無謀な上官の命令に従わざるを得ず、理不尽な戦闘で多くの部下と自身の前頭葉を失い、戦後はもう二度とそんな理不尽さを繰り返さないために自らを頂点とした組織を目論みます。

この漫画、アイヌの日々の暮らしのように自然に接した過酷ながらも美しい「生」の一面と、日露戦争やヤクザの抗争などの理不尽で人の欲望に塗れている「死」の一面があると思うんですよね。その死の一面は悲惨で酷くもあるんだけど、どこか狂乱の宴的な派手さも備えていて、死の一面を体現するような彼の凶行や狂言には背徳的な華やかさがある。映画で言うと「マッドマックス 怒りのデスロード」みたいな感じ。善悪の彼岸を渡り切ってさらにその向こうまで突っ走っていく人間の、楽しげで狂っていてそして少し寂しげな姿がそこにあるような気がするんですよね。他に彼の境地まで到達する人間はあまりいないからなんでしょうかね。

この二人を取り上げてみても、恐ろしくキャラクター造形の範囲が広くてすごい漫画だわ。。