レヴェナント 蘇りし者

観てきました。デカプリオ初のアカデミー賞受賞作。仲間に裏切られ、息子を殺され、半死半生の傷を負いながらも復讐を胸に生きながらえた男の物語。


すごかった。ストーリーはとてもシンプルで迷うことはないんだけど、復讐することと、サバイバルすることが同時に進行していて、デカプリオ演じるヒュー・グラスは復讐する以前に過酷な自然環境の中を生き延びなければならない。この描写が本当に素晴らしくて、光の角度が低くてやや暗い森の中とか、凍てつく川岸に流れ着いた時の吐く息の白さとか、一つ一つのシーンが写真のように美しい。ほんとあの森の中のシーンで、奥の光と手前の木々にちゃんと露出が合ってる取り方すごく良かった。


そしてなにより、劇中あまりセリフがなくほとんど演技だけで復讐の念を表現し続けたデカプリオがすごい。生き延びるための行動を粛々とこなしていく姿は、人間の文化的な部分が削ぎ落とされた獣のようであるのに、その行動原理はとても人間的な「復讐」。静かな怒りの炎が彼を生き延びさせている、ということが演技で伝わってくるんですよね。
そして時折挿入される、幻想的なシーンの数々。幼い息子を残して死んだ妻の姿や息子の幻影が、どこからどこまで現実なのか分からない曖昧な線引きで描かれています。それが復讐だけではない、グラスの複雑な内面を表しているんですよね。その復讐の外側を描くからこそ、あの最後の決断に至る根拠にもなり得るのではないかと思いました。


ちょっと映画の感想とは離れるんだけど、ストーリーの根幹に「息子を殺された」という動機があります。グラスはセリフではなく、壁に文字で「息子は殺された」と書くことで、その想いを表出しているんですよね。グラスの心には常に息子のことがある。
既にこの世にはいない息子が物語を駆動する。先日観た、「サウルの息子」もまた明確な復讐劇ではないけれど、民族虐殺の中をサバイバルしながら亡き息子のために行動する父親の物語でした。
彼らにとって息子とはどういう存在なのだろう、と思うんですよね。私は女性だし、子どもを持つこともないと思うからかなり想像が難しいんだけど、血を分けた人間というだけではない、並々ならぬものを感じます。父親にとっての息子とは、自身のミーム(文化的遺伝子)の正統な後継者なのかも。ミームというのは遺伝子と違ってDNAのような物理的な媒体を必要としません。が、それ故に正統性というものが重視されるんじゃないか。グラスは息子に対して、先住民族の言葉で語ります。言葉はミームの最も強力な媒介です。その言葉でしか伝えられない概念、意思、教義があるはず。それらを正しい人間に受け渡すことが、父親が担う役割の一つだと思います。その後継者が喪われた時に、サウルは代替としての息子を探し出したけれど、グラスは鬼になって復讐に駆り立てられます。そういえば気が付いたけど、どちらの映画にも川がわりと重要なシーンで出てくるんですね。息子という概念と共にあった感情が水に流されている。日本語では「水に流す」という言い回しがあるけど、人間の手の中にあるものを天(あるいは死者の国)に帰す、という意味合いのシーンではないかと思います。