SHAME

性依存症の男性と、自殺癖のある妹の物語。
なんだろう、主人公の男性はセックスにのめり込むというよりも、内なる穢れを削ぎ落とそうとしているように見えるんですよね。その行為には快楽に溺れるというよりもそこに没頭しなければならない痛々しい義務感のようなものがあって、それがセックスのシーンに奇妙な冷たい印象を与えているように感じました。うーん、そこに「穢れ」を見てしまうのは日本的な感覚なのかもしれないけど、だからと言って「禊ぎ」が有効だとは思えないんですよね。それはやっぱり肉体という、人間のどうしようもない部分だから。ここにリーチする高度な概念は、ちょっと想像がつかないですね。それともう一つは都市という、性欲を手軽に解消できてしまう仕組みもあると思うんですよね。主人公はその仕組みに巻き込まれて、どんどん消耗して行く。もう自分の意志とは関係のないところで、性欲の需要と供給が成り立ってしまっている。「自分」が置いてけぼりにされていて、「身体」だけが動いている。その姿がとても痛ましくて悲しい映画でした。