最近のこと

だいたい月に1度のブログ更新、今月版です。

 

えーと前回の記事は、サイバーパンクブームが来てたんだな。ゲームもあれからもじわじわと楽しんでるのでもうちょっと続きそうです。

 

大学のこと

今期の授業が始まって1ヶ月が経ちました。今期は2科目だけなので余裕をぶっこいているうちに、またコマが遅れがちに。。いやーほんとこの癖どうにかならんか。。むしろ現役学生の時の方がちゃっちゃとやってた気がする。

ちなみに今期は数学と物理の応用的な解析力学と、心理学や認知科学よりな錯覚の科学の2つ。ちょっとプログラム的な話になってしまうけど、テキストに出ている多変数関数のグラフを自分でも出したくてMathmaticaというソフトベースなのをPythonで書き換えていました。ちなみにPythonの読み方はパイソン、元ネタはあのモンティ・パイソンだそうよ。いやそんなことしてご満悦してないで、さっさと授業進めなさいよ。。

 

趣味のこと

先月のことになってしまうけど、映画をいくつか観ていたので感想を残しておきます。

 

まずは「さかなのこ」。

お魚タレントで有名な「さかなクン」の半生がベースでなぜか主演が俳優の「のん」さんという一風変わった映画でした。あ、さかなクンさんだろぉデコ(略)という謗りは尤もだけど、もうこの人呼び捨て呼称くらいの権威なんじゃないかな。アインシュタイン「さん」とか言わないのと同じく。

話がそれた。

この映画は、さかなクン=ミー坊と呼ばれる人物の幼少から成人するまでの人間関係を中心に綴られています。家族、幼なじみ、職場先の人、仕事で出会った人、ご近所の人などなどが、ミー坊を中心にそれなりの世知辛い人生を歩んでいることが垣間見えるんですよね。離婚したり、恋人と上手くいかなかったり。けれど、ミー坊だけはなぜかそういう「人間らしい」部分をまるで感じさせない。ここがすごいところで、人間の中に1人そういう浮世離れしたキャラクターがいると浮いてしまうはずが、のんさんの仕草や表情でそれを許容する空気に変えてしまう。その空気の中にある他の人物たちも、その間だけは水の中に浮かんでいるように人としての重さから解放されるように見えるんですよね。これは画面で見ないと伝えきれないなあ。

その他にちょっと面白かったのは、ミー坊のアパートの下に住んでいた理髪店の店主。日がな1日、理髪店の回転看板の下で煙草を吸ってぼんやりしては、閉店になると妻が出てきて店に戻っていく。そこに時々ミー坊が、釣れた魚を見せに寄って自分の部屋に帰っていくシーンがあるんだけど、ここがすごく「さかなっぽさ」を感じたところでした。この店主がなんだか岩陰や砂の中でじっとしている魚みたいに見えるんですよね。

どこか、巨大な水槽の中を覗いているようなそんな映画でした。面白かった。

 

もう一つは「LAMB」

北欧の雄大で厳しい自然を背景に、羊から生まれた何かを育てる夫婦の物語。ホラー的な展開は苦手だけど、これは大丈夫でした。ちなみにこの映画観にいく時、ハヤカワSFの「電気羊はアンドロイドの夢を見るか?」Tシャツを着て行きました。羊ぽい服これしかないんだ。

ええと、感想を。

言葉による説明らしい説明は極力排除されて、役者さんの演技やカット、見られる部分と隠される部分との意味を観客が自ら繋いで行く、そいういう映画でした。こういう映画、見ながらものすごく想像力を駆使して楽しい。

なので観る側がどこに注目するか、どう解釈するかによってだいぶ感触は異なる映画なんじゃないかなと思います。ここではあくまで個人的に考えつつ見たことをまとめておきますね。

北欧の文化とは全然違うところで、「7歳までは神のうち」という日本の文化の内にある言葉を思い出しました。幼児の死亡率が高かった頃の言葉ではあるけれど、そこには幼い子を喪ってしまった親に対する慰めが感じられます。この映画はそれを翻弄するように、子を喪った親の元へ神の領域にあるような「子」を授ける、という残酷さが印象的でした。その残酷さが背景となる荒寥とした自然と相まってとても美しいんですよね。それに主演のノオミ・ラパスさんがすごく良かった。終始曇りで強い風の吹く自然の中で、あの少し陰鬱ででも力強さを感じる表情がよく似合ってた。

物語的に後味の良い終わり方ではなかったけど(特に終盤はビクッとしたけど)、「三つ子の魂百まで」というまた日本の諺を持ち出すと、束の間の幸せだった時間をあの子がずっと覚えていて欲しいと思いましたね。