雪が降りましたね。
雪はそんなに珍しくもないけど(北国生まれ)、雷も鳴っててこういう天気はあまり経験がないかも。それにしても寒いと言っても氷点下になるわけじゃないのに、寒さが堪えるのなんでなんだろう。。うかつに薄着してるわけでもないんだけどね(着込んでもこもこになりながら)
さて、最近読んだ本。。というか最近はずっとこの本にかかりきりでした。
カラマーゾフの兄弟 4巻
実際の本見てみると分かるんだけど、これ600ページ超あるので普通に文庫二冊分くらいあるんだよ。ものすごく分厚くて見た瞬間ちょっと笑ってしまった。
でも長さを感じさせないくらいの濃い内容で、時間はかかったけどそんなに苦労した!という感じはなかったです。もっと短くてもなんか合わなくて進まない本とかあるし。
さて、カラマーゾフの兄弟4です。父殺しの容疑をかけられた長男ドミートリー(ミーチャ)と兄の無実を信じる近しいものたち、検事、弁護士と様々な人々がカラマーゾフ家の殺人と金銭に絡む名誉についてを判じていくのがおおよその物語の趣旨。
ここで一番印象深かったのが、ミーチャの元恋人でミーチャの苦悩の元凶となるカテリーナでした。1巻ではミーチャと父の両方を惑わす妖婦グルーシェニカにバカにされるほど世間慣れしてない幼稚な感じだったのに、ミーチャを擁護する1回目の発言と激情にまかせた本音のような2回目の発言の振れ幅が成熟した大人の見せる両面を表しているようですごく面白かったんですよね。ここの件は、ミーチャの無実を信じて自分が辱めを受けてでも証言する崇高な姿勢でぐっと株を上げつつ(聴衆や陪審員にもうけが良かったはず)、一転ミーチャへの想いが既に断ち切れているのにグルーシェニカへの憤りや弟イワンへの複雑な思いが感情に任せてぐちゃぐちゃになって出てきて一気に評価を下げてしまうんですよ。こんなん面白いに決まってるわ!
これってどっちもカテリーナの本音だと思うんですよね。そしてどっちもなんかわかる。。なんていうかこの物語、登場人物の誰しもが崇高な魂というか理想の(キリスト教的にとも、当時の倫理的にもどちらにも言える)正しい人間になりたいと願い、そうなれなくてもがき苦しむ様がよく出てくる。これだけがテーマではないけど、そういう手に入れられなくて入らない、渇望をエネルギーにお話が駆動しているように感じるんですよね。
そうそう、2巻だったかな、日本で言う「蜘蛛の糸」に似たエピソードが出てきて、そういうところからも聖人になれない凡人の苦悩を読み取っているのかも。ちなみに蜘蛛の糸ではなくロシアでは長ネギ?だそうです。なんだ、エシャロット的なやつ?
弟イワンの苦悩も読み応えがあったしあの弱々しかったアリョーシャの堂々たる発言も感心したし、グルーシェニカもなんだかんだ言いながら良かったし、1巻読んだ時には「こいつら。。」と思ってたのが嘘のように登場人物たちに知らず知らずに深入りしていてびっくり。最後まで印象変わらなかったの、父親だけじゃないかな(笑)
ちなみに長男推しです。なんかあの粗暴と繊細が同居しているバランスが好きだな。側には居たくないけど。
それともう一つ。最後の方は検事と弁護士の弁論合戦へと突入するのですが、当事者であるミーチャを目の前にして事件当時の心理や動機の推論が繰り広げられます。他者が当事者の内面を説明するんですよね。でもそれってどこまでいってもフィクションでしかなくて、事件はその「誰にでもわかる物語」として解釈されミーチャは裁かれます。ここはす、当人が目の前にいるのになぜそんな推論ができるのか、どうして聴衆や陪審員は当人の弁明よりもその「物語」を信じるのか、というところが興味深かったですね。正しい人間への渇望があるとして、では「正しい人間」とはなにか。それは誰かが語る物語の中にしかなく、単なるフィクションなのではないか。でもそれは登場人物たちそれぞれが思う「正しい人間」とはかけ離れていて、物語はその解離が決定的となった瞬間に終わります。(まあ別巻もあるんだけどね)
この終わり方にはこのフィクションでは救われない登場人物たちを物語の外へと逃してやるようなそんな慈悲もちょっと感じました。
最初はどうかな、と思って読み始めたけど意外と面白かったな、ドストエフスキー。
さて、残りは別巻です。こっちは4に比べたらだいぶボリューム少なくて、またちょっと笑ってしまった。