「幼年期の終わり」

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))



訃報をきっかけに読むというのも不謹慎かなと思いましたが。
えーと、適切な言葉が見つからないんですが、稚拙な言葉で言うと「すごい」。
SFの面白さって、現在と地続きの未来(または過去)がどう表現されてるかっていうのがあると思うのですが、
このストーリーで描かれてる未来像は、とてもじゃないけど予測出来ない程飛び抜けてました。
どんなに精密に予想した所で現実世界の未来はいつでも見知らぬ顔をして、改めて驚かされたりするものだけど、
(携帯とかよく考えたらすごい事だと思う。どこに居ても誰とでもいつでも話が出来るって言うのは。)
このお話の未来はもっと知らない顔をしてて、かなり面白かったです。
例えば攻殻(TV)の近未来像って、現在とあまり変わってない「知ってる顔」で、
そんな世界に昆虫っぽい変な兵器がドーンと置かれたり、仮想空間の描き方で差をつけたりと、
そういうギャップや近似が楽しい未来像なんですが、
こっちは本当に見た事聞いた事がなくて、詳しくは書かないですが、とても楽しかったです。
でもSFらしくちゃんと現実と地続きの部分も丁寧に残してあったりして、
その辺のバランスはちゃんと取れてて、興ざめしてしまう事もなかったですね。
さらにそんな未来のイメージへ、とても上手にリードしてくれるストーリー展開がとても魅力的でした。
本当にめくるめく展開っていうのか、めくってるのはページなんですが(笑)、
テンポ良く次から次へと展開が進んで行って、謎めいた出来事が明らかになったと思ったらさらにそれを上回る大きな謎が出て来て、
例えば光速で宇宙旅行をしてて、窓の外に大きな星が現れたと思ったらあっという間に過ぎ去って次の星が現れるみたいな、
そんな感じでしたねえ。
でも最大の秘密は最後の最後まで気を持たせておいたりする焦らしもあったりして、それがまたすごい結末に結びついているので
途中で読むのがなかなか止められなくて苦労しました。
それでいながら単に興味深い未来像を提供してるだけじゃなくて、人類への深い愛情というか、思う所が随所に見えてて、
誰かの事を想う人はたくさん居るけど、人類を思い遣ることが出来る人って言うのは本当に希有な存在だなあと
改めて思いました。
このブログはだいたい褒めてる事が多いのですが(笑)これはもう欠点を探す方が難しいなあ。
で、一番驚くのがこの本、1953年の出版なんですね。
1953年の時点でこんな未来を描けるっていうのは、なんていうかそれも想像を遥かに超えるなあ。
ていうか、うちの親が幼年期の頃の作品だ。。。