「カールじいさんの空飛ぶ家」



「こんな話つまらないよね?でもこんなのしか覚えていないんだ」
パパとの思い出をべちゃくちゃとしゃべった後で少年ラッセルはしょげた顔をしました。カールじいさんはラッセルのおしゃべりに怒ることもなく、黙ったまま歩き続けました。



誰かとの関係の中でしか、意味を持たないことがあります。それを他人に語ったところで、曖昧な同意しか得られないようなことでも、その関係の中では重要な意味があって、関係に重さを与えているもの。一方で、誰にでも語る事ができて、多くの人から賞賛されるようなものがあります。多くの人の心の中で、ほとんど同じように意味を持つもの。語り得るものと語り得ないものが、人の関係の間には存在します。この映画は語り得ないものの物語。小高い丘に二人でピクニックに行って、流れる雲を見上げながら、鳥や亀を想像したりすることなんて、世界が驚くようなニュースじゃないし、ささやかな人生の中でもスナップ写真を撮っておくようなことでもないけれど、それが誰かとの関係の中で重要な意味があるならそれでいいじゃない。世界の重力から離れて、風船で軽くふわっと飛んでいくくらいささやかだけど、それは確かに二人の間で意味を持っていることだから。


犬を飼った事がないのよく分からないのですが、この映画の中での犬の振る舞いは、かなり自然に近い感じなんじゃないかなと思います。なんていうのかな、ある程度のデフォルメはしてるけど現実の犬の動きを忠実に模倣させてる。これ、実写の側が本来やるようなことをわざわざアニメーションでやってると思うんですよね。だって、生の犬と違って完全に意図した通りに演出できるんだから、演技の途中で犬の注意が反れる、なんてことわざわざ入れなくてもいいはず。実写でやりそうな演出をわざと取り込んで、それを上手く笑いにつないでるんですよね。実写にふんだんにCGを取り込んでアニメーション的な演出を取り入れているのと逆の発想だなあと感心しながら観てました。