スキャナー・ダークリー


あらすじ
麻薬捜査官フレッドはおとり捜査としてボブ・アークターと名乗り強力な麻薬物質である「物質D」の常用者と接し、時折それを自ら摂取しながら暮らしていた。世に蔓延する物質Dは常用性が高く一度摂取するとそれを中断することが非常に難しいドラッグだ。物質D常用者を専門に治療するニューパス社は、民間の医療機関だがその実体は謎に包まれていた。フレッドはドラッグ仲間であるバリスやラックマン、ドナなどを密かに監視していたがなかなか物質Dの元締めにたどり着けないでいた。ある日、フレッドは上司からアークターを集中的に監視するよう命令される。もちろん、その中の一人が捜査官であることは上司は承知している。お互いの身の安全のため、捜査中の氏名は上司にも通告しないという規則でフレッドはアークターが自分自身だと告白することが出来なかった。仕方なくフレッドは監視用のスキャナー越しに自分自身を見つめることになる。



この前のSFベストテンでわりと見かけたタイトルだったので観てみました。原作の方は読んでました。


スキャナー・ダークリー - ここでみてること

映画について

実写の上にアニメーションを上書きしたロトスコープという手法で描かれた作品です。動きが実写的で、ぶれや動作に余韻がある一方、色彩やデザインがアニメ的というすごく奇妙な画面でした。でもこの奇妙さがディックの原作特有の現実と虚構の曖昧さを効果的に表現していると思いましたね。これは良い使い方。特に主人公のフレッドが上司に面会したり、公衆の前に出る時に装備しているカモフラージュ用のスーツ(原作ではスクランブル・スーツ)は原作で読んだとおりでした。おおこれだよ。それに冒頭の麻薬常用者が見る幻覚の虫がわらわらするシーンは、原作そのままですごく気持ち悪かったです(笑)まあこれ(原作も)最初だけなので大丈夫でしたが、虫嫌いな人はジム・バリス(ロバート・ダウニー・Jr)が登場するレストランのシーンまで飛ばしても多分大丈夫です。
そうそう、アークターのドラッグ仲間の役でロバート・ダウニー・Jrが出ているんですが、これが陽気ですごくおしゃべりなのに、どことなく底知れないものがあってすごく良かったです。だらだらしてたり、ぴこぴこ(時々手足を突っ張らせて歩いたり)する動きに予想がつかなかったですね。この頃はまだ具合が悪かった時期なのかな…。
主演のキアヌ・リーブスもどんどん自分を見失っていくのにどうすることもできない乾いた哀しさがあってすごく良かったですね。ちなみに吹き替えで観たんですけど、アニメ的な表現と相まってよりドラマが感じられました。字幕だとまたちょっと違ったかもしれないですね。


ストーリーについて

ネタバレます







フレッドをニューパス社へ潜入させるために麻薬捜査の組織ぐるみで仕組むというくだりは、自分が信頼を置く現実世界から拒絶されたと取ることができると思います。それに気づかず、気づく隙すら与えられずに麻薬付けにされていくフレッドは、その哀しさを感じることができなくなっていくんですね。その「哀しいのに感じ取れない」空虚さ、原作を読んだ時に奇妙な静けさというか、安らぎのようなものを感じたんですが、この自分自身を初期化された人間の、幸せも不幸も感じ取れない、という部分から来ているのかなと、改めて感じました。というか、観ながら「あ、これって人格をフォーマットされる話だ」と気づいて、なんでそんな奇妙なことをディックは思いついたのか本当に不思議です。すごいなあ。
それとアークター(フレッドですが)が「おとり(捜査官)のふり」と思わず口走って、そのちぐはぐさに自分でしどろもどろに言い訳をするシーンがすごく核心を突いていると思いました。それは「麻薬常用者になりすましている捜査官のふりをしている麻薬常用者」ということ。こういう自身と対象をひっくり返すアイデアはディックならではで、その等価な構図がすごく好きですね。この物語は外部から自分が何者であるかという保証がどんどん削がれて行く物語です。フレッドがアークターであることを選ぶか、フレッド自身であることを選ぶかという内面の物語ですらありません。どちらもきれいにフォーマットされてその上に「ブルース」というまっさらな人格が上書きされる物語です。残酷だけど、なぜかそれがすごく羨ましいような、悲劇的だけどそういうフィクションの在り方もいいんじゃないか、とそう思えるストーリーでした。