白鯨との闘い

小説「白鯨」のモデルとなったエセックス号の乗組員とその運命を描いた映画です。
去年、某ゲームの影響で(笑)白鯨を読んでいたので内容をしっかり覚えていたし、いいタイミングで観られて楽しかったです。
白鯨 - ここでみてること


まずは白鯨にも登場する捕鯨で栄えた島、ナンタケット島の描写。小説を読んでてもその盛況ぶりがよく描かれていたけど実際に映像で観ると「ああ、あの場所だ!」と興奮しましたねえ。特に捕鯨船がずらりと並ぶ港の風景が素晴らしい。人々の服装なんかもすごく良かった。小説が原作の映画の醍醐味って、こういう想像が補完されたり増強されることだと思いますね。
それとやっぱり船内の風景。小説の大半が船上を舞台にしているのでここもかなり見応えがありました。小説では語り手のイシュメールが帆の張り方や船の仕組みから銛や綱、鯨油の抽出や金属加工の炉まで事細かにおたくっぽく(笑)説明するので、その一つ一つが分かるんですよね。あ、これイシュメールが言ってた綱の巻き方だ!とかね。なんだか観る前に映画解説を読んだみたい。映画がそういう細かい所まで手を抜かずに描いていたところはとても面白かったですね。
船上の描写ですごく良かったのは序盤、チェイス航海士(クリス・ヘムズワーズ)が船に慣れていない船員が帆を張るのに手間取っていたところを、「ほら、貸せよ!」とするするーっと綱を上ってぱぱっと帆を直して、しゃーっと降りて来たシーン。おお、めっちゃかっこいい!車でバックする時に片手でくるくるーの上位レベルぽい(笑)
白鯨の描写も素晴らしかった。私は大きなものが動くってだけで面白いんですが、あれはやばい。あんなの見かけたら大変だ(笑)小説の描写もすごく良かったけど大きなスクリーンで「どどどど!」と迫り上がってくる巨体を観て「うわああああ!」ってなるのもすごく楽しかったですね。


物語について。
以下ネタバレ








白鯨の作者、メルヴィルベン・ウィショー)がエセックス号の生き残り、トマスから伝説の巨大な白鯨との遭遇についてインタビューをするところから物語は始まります。このトマスの回想が映画の主軸なんですね。年老いたトマスは長年、エセックス号の悲劇については口を閉ざしてきました。自分の妻にすら打ち明けたことのない真実を、メルヴィルの熱意におされてようやく彼は打ち明けます。
小説の中ではピークォド号と名を変えたエセックス号。若い頃のトマスは初めての捕鯨船に乗り込む、初々しい水夫でした。後に生き残りとなる彼は、小説でも唯一の生存者であるイシュメールの役を想起させます。そして航海士のチェイスとジョイ(キリアン・マーフィー)。粗野で荒っぽく捕鯨に関しては一切妥協しないチェイスはスタッブ、フラスクの特徴を、ジョイのもの静かで船長に対しても冷静に意見する部分はジョイから来ているのかなあと思いましたね。処女航海となるポラード船長にはエイハブほどの狂気はないけど、ベテラン航海士たちに感じる劣等感、そこから来る偏狭さにそのニュアンスを感じ取りました。小説には直接的にモデルになった人物というのはほとんどいなくて、それぞれから少しずつ特徴(キャラクター)を借りて来ているような。
そしてそれがたぶんこの映画の中心(Heart)になっていると思うんですよね。エセックス号にも白人ではない、(たぶん)ネイティブアメリカンの人たちが乗船しているのですが、小説のクィークェグたちのようにとびっきり異なる世界の住人、というわけではないようです。普通に言葉も通じるみたいだし。小説の中でクィークェグは人食い族出身という説明があります。別に人を食べる描写はないんだけど。実はこれもエセックス号の乗組員から借りて来た特徴なんですよね。トマスが長年口を閉ざしていた理由は、遭難して過酷な漂流をしている間に、どうしてもその禁忌を犯さなければならなかったから。クィークェグの元となる乗組員が死亡した時、食料が尽きていた彼らはその肉体を口にします。メルヴィルはトマスが長年その罪に苦しんでいたことを踏まえて、クィークェグを逆に「人を食べる」というキャラクターにしたのではないかと思います。


フィクションという煙幕を張りながらも、メルヴィルがその真実から見出したものが小説に確かに描かれている。そういうものが見えてくるような映画でした。