エピローグ

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ゆるふわ高難易度SFの書き手として(主に私に)話題の円城塔さんの長編SFです。


えっとー、なんていうのかな。うーんと「物語」を題材にした小説ですね。毎回のことだけど、ふわふわしてちょっとおとぼけな文体で油断させておいて、内容はめちゃくちゃ難しいですからね。はははー。しっかり理解できてない前提で感想書いてるってことを含みおいていただけると幸いです。


物語。登場人物が世界を動き回り、時間軸を牽引して変化を起こし、一定の結論なりメッセージを提示する表現形式。起承転結と呼ばれる定型が既に存在していることから、ある程度分類が可能なものでもあります。
この作品ではその物語を工学的に解きほぐしてみようとする試みのように読めました。うーん、解きほぐすというか、組み立て直す、というか。例えば冒頭の一行。

わたしの最初の恋人は、誰かの空想の産物だった。

物語、ラブストーリーの中で恋人は実在している必要があります。まあ亡くなった恋人を想うこともあるので、どこかの時間上で存在していれば大丈夫でしょう。でもこの文では恋人は実在しない。ここで重要なのは「自分の」空想の産物ではない、ということ。誰かが想像した「なにか」。二次元キャラも誰かの想像の産物だけど、もう少し定義を大きくしてキャラクターを含む「物語」っていうこと。
「物語」が恋人。ふーむ。よっぽど小説が好きな人なのね。というお話じゃないのです。「物語」という実在しない、頭の中にしかない概念に「恋人」というキャラクターを纏わせる、かなりへんてこなお話。「恋人」という変数に「物語」をぶちこむみたいな。うーんややこしい。けどこれがなんだか可愛いんですよね。いつも思うんだけど、この妙に高い女子力はいったいなんなんだろう(笑)
ややこしさの一因は、安易な擬人化を避けているところにもあると思います。というかこの技法こそ、この作品の一番面白いところ。物語の登場人物の生成、継続的な存在と消滅、時間遷移の管理、イベントの制御、などなどを現代のコンピュータテクノロジーをネタに展開させていく過程がほんと面白い。存在の仮想化、物語のバージョン管理、ソフトウェアオブジェクトならぬ、ストーリーオブジェクトのライフサイクル。なんでそこで仮想化なのってちょっとばかばかしく思ってしまうんだけど、ああでもよく考えたらぴったりの用途ね、と妙な説得力があるのがほんとすごい。しかも悪のりしてどんどんエスカレートしちゃうとことか、ツボをついてきてすごく楽しいんですよね。


さて。ややこしくて、なんだか可愛くて、変な所で面白ポイントをおさえているこの小説はいったいなんなんでしょう。「物語」の擬人化、工学化で解体し、組み上げたこの物語のかたちとは。手順や技術の仔細ではないと思うんですよね。なんかその辺は茶化してるし。「物語」は誰かの空想の産物。想像できないものは物語にはなり得ません。でも、この小説はそんな「想像できないもの」をなんとか描こうとしているように見えるんですよね。それは否定(NOT)を用いて描くことで可能です。否定というと文学的には否定、肯定の意味で取られると思うんだけど、論理演算(情報科学)の方で。ベン図の正(true)が「物語」なら、否(false)は否「物語」。
映画では目に見えない風を表現するために、目に見えるもの、旗や髪、煙や砂など存在するものの配置でそれ(風)を描いたりします。それに近いのかなあと思いますね。


内側からしか語れなかった、物語の外側を描く。光と影のほんのちょっとした間に無限の色が詰め込まれているような、「物語」と否「物語」の間が少しずつ滲んで重なっているような、へんてこで面白い物語でした。