オートマタ

2044年太陽風により砂漠化が進み、人類は激減。技術的、文明的に後退した人間はオートマタ(自動人形)を駆使することにより社会をようやく存続させていた。オートマタには人間の能力を凌駕しないよう、二つの制御(プロトコル)がかけられていた。人間に危害を加えないこと、そして自己改造をしないこと。人間の制約を受けたオートマタとオートマタの保護を受けた人間との、二つの知性の物語。


こういうお話が大好きなので観てきました。が、面白かったけど、とびきり感心するところはなかったです…。まずは二つのプロトコル。いきなりロボット工学三原則を出すよりはシンプルでストーリーにも沿っているんだけど、そもそもこういう規制を作ろうとした人間側の発想が三原則から全然進んでいるように見えないんですよね。ロボットが知性を持つのが怖い、というのは分からなくもないけど、怖いのは意に反した行動を取ることで、それは知性を持つものなら人でもロボットでも、犬でも変わらないんじゃないかな。フランケンシュタイン・コンプレックスがベースになっていると思うんだけど、クイズ番組に出ちゃう人工知能とかバラエティに出てるアンドロイドを普通に見聞きしているとちょっと「うーん…」となってしまう。それに人間が90%以上も激減した世界で、ロボット自らある程度修繕できないと間に合わないような気もするんですよね。


それと劇中に出てくる性愛用オートマタのクリオが、イノセンス球体関節人形にしか見えなかったのがね…。というかイメージのいくつかがイノセンスに被ってるような気がして、クリオを調査する女性の博士と対話する場面とか「なんだか、ハラウェイぽい…」と思ってみてました。それと未来のイメージもブレランぽいというか、酸性度の高い雨が降ったり、荒廃してゴミが山積みになってたり落書きがいたるところに書かれてたり、いかにも「暗い未来の世界」という感じでこれも見飽きたイメージだなあと。


一方で良かったのは、オートマタをかなりリアルに描いていたところ。残念ながらそれが物語の情感を盛り上げてるとは言いがたいんだけど、ロボットらしいロボットというか、人間と並んで立った時に際立つ異なるものの存在感が良かったですね。アニメーションだとどのくらい異質なものなのか計りかねることがあるんだけど、これはそういう部分がリアルに出ていました。
それと終盤での人間とオートマタの対話のシーン。正直に言えばこの映画の結末には反対で「いや、他にも道があるでしょ」と思ってしまう方なんだけど、あの崖っぷちで静かにお互いの知性を尊重し合うシーンがとても良かったです。