映画なしでは生きられない

映画なしでは生きられない

映画なしでは生きられない


前作「映画系女子がゆく!」が女性である著者の、鋭くてときどきヒヤッとするような視点で映画を読み解く、どちらかというとエッセイのようなものであったのに対して、こちらは独特の視点はそのままに、もう少し全般的な評論となっているように感じました。


映画ってぼーっとスクリーンの前に座ってるだけじゃなくて、目の前に展開する映像から観ている人それぞれがリアルタイムで頭の中に物語を紡いでいく作業だと思うんですよ。分かりやすい映画っていうのはそれが誰にでも一意に通じる物語を提示しているから。それでも一人一人、年齢や経験や知識も違えば背負ってる文化的背景も違うので、同じものを観ていてもその解釈が違うわけです。評論というものをあまり読んだことがないんだけど(映画系ブログとかは読むけどね)、その違う解釈を通して観た映画の、もう一つの顔に出会う面白さがあるなあと感じました。


で。著者の真魚さんの評論の面白いところは、この本のタイトルにもある「○○なしでは〜」という、映画の心臓部をスパッと切り取って並べる手腕にあると思うんですよね。例えば女性による復讐を取り上げた章では、パク・チャヌク監督の『親切なクムジャさん』を取り上げて、役者のメイクの色使いやアイテムから、復讐に欠かせないのは「美しさ」という要点を見出し、復讐に駆りたてられる機微を拾い出しています。実はこれずいぶん前に観たんだけど「あの清楚なイ・ヨンエが、すごいことに!」とか「なんでケーキに顔突っ込んでるの…」とか、大筋の復讐劇は分かるけどちゃんと理解はできていなかったんですよね。映画というのは数学のように一意に決まる解があるわけじゃないので、このテキストも解の一つなんだけど証明の手順がとても丁寧で分かりやすくて、そういう見方もあるのか!と面白かったですね。


欠かせない要素を見出す映画的視力がすごいなと感じたのは、他には「マッドマックス 怒りのデス・ロード」。荒れ果てた大地をヒャッハーしながら行って帰ってくる、そんな映画についてのテキストが良かったですね。観た人の大半がアホになるという(笑)全体を通してテンションの高い映画から、「種」というキーワードで男と女の対比をあぶり出し、登場人物の細部にまで目を配り、老婆と若い女性の共通点を見出しているところがすごい。私も「あんなばあさんになりたい!」とすごく思ったんだけど、それをテンションに惑わされずにきちんとテキストに落とし込んでいて感心しました。この映画の欠かせない部分「女性」を、映画の中の意味合いを損ねずにきれいに拾い上げているんですよね。それにしてもこんな見方も内包する「マッドマックス」ってすごすぎる。


ここからちょっと読み手の私のことになっちゃうんですが。
この本で取り上げている映画作品の中にSF作品もたくさんありました。私はあんまり偏ってるつもりはないけど、主にSF作品を観たり読んだりしているタイプなので、SFを主としない人から観たSF作品がすごく新鮮だったんですよね。いやーやっぱり偏ってるのかなあ。スピルバーグ論で出てきた「E.T.」。ファーストコンタクトものの傑作だと思うんだけど、言われてみればE.T.の種族が友好的かどうかなんて分からない。ファーストコンタクトものっていうとレムの絶対に交流不可能なものか、クラークのオーバーロードが人類を啓蒙とかそんなイメージがあって(なんだか例えが古いな…)、確かに個人の間の物語(エリオットとE.T.)と大局(人類とE.T.種族)では文脈が違うよなあと改めて気付きましたね。
SFファンとしてはもちろんスピルバーグ作品も大好きなんだけど、時々「え、なんで?」という作品を作るちょっと変わった映画監督でもあるんですよね。奇妙な闇があるというか楽しませておきながら実は暗いテーマを含んでいたりする、なかなかお気楽には観られない監督だなあと思いましたね。今度感想書くときは気をつけよう…。