エクス・マキナ

観てきました。
世界的に有名なIT企業に勤めるケレイブは、社内の抽選で社長の別荘に招待される。そこでは高度なAIが極秘に開発され、ケレイブはAIの知性を測るチューリング・テストの実施を要請される。驚くほど友好的なAIエイヴァにケレイブは知的好奇心だけでなく次第に感情を揺さぶられていく。


人里離れた別荘で機械と人だけが登場して、チューリング・テストの有名な逸話、中国語の部屋のような寓話的な一面もある映画でした。そしてなによりエイヴァの造形がすごく良いんですよね。今までアニメやCGで観てきたロボットやAIの「人間のかたち」って、生身の人間との差が見えにくいんですよね。それはアニメやCGの特性だからというのもあるんだけど。でもこの映画はその質感や仕草が「とても人間に近いけど微妙な部分で機械の部分が垣間見える」感じで素晴らしい。不気味の谷を向こうから越えて来ただけじゃなく、スムーズに人間の心に入ってくるデザインなんですよね。エイヴァの登場シーンの静かな声で「こんにちは」と言いながらシルエットからかたちをさらけ出した時の、
人間とは別の知性がそこに居る!、という感動がこの映画のテーマに根拠を与えていると思いました。


以下ネタバレ









チューリング・テストをされていたのは実は人間の方でした。というお話なのですが、機械が本気を出して人間をハックしょうとしたらもう太刀打ちできないなあ、と素直に思いました。映画では若い男女の恋愛シチュエーションを想定していて、エイヴァからすると男性の女性に対するセキュリティホールを突いたってことだと思うんですよね。で、これって恋愛だけじゃなくて人間なら誰しも他者とコミュニケーションを持つためのポートを持っているので、そこを突かれたらもうどうしようもない。母性本能にかこつけて、小さな子が「たすけて」ってガラスの向こうで泣いてたら絶対気持ちが揺らぐわ(笑)
かと言って、機械に気持ちを許してはいけないということでもないと思うんですよね。機械を人間のように愛してもしょうがないけど、機械を機械として愛することはできるはず。特に日本人はそういうの得意ですよね。人間と機械の切ない「初恋」の物語。初恋はうまくいかないものだしね。


途中で「あ、これはBEATLESSだ!」とか、機械が人間に復讐しようとしている(ように読み取れる)シーンでは映画「イノセンス」だなあ、と思いながら観てました。最後の手酷い裏切り(笑)は戦闘妖精雪風だなあとか。日本のSFはこういう方面ではわりと先んじているイメージがあるし、もっと注目されてもいいと思うんですよね。


この映画で一番SFを感じたのは、エイヴァとキョウコが顔を近づけて言葉を交わしているシーン。声(音)がなく、ただ彼女たちの意志の疎通をしていることだけが伝わるシーンです。口づけをしようとしているくらいの近さで交わされる会話は同性愛的なエロさもありながら、その「言葉」はもう人間が理解できるものではない、彼女たちだけのものだ、という疎外感が切なくてすごく良かったです。