「崖の上のポニョ」



感想としては出遅れた感じですが、観てきたので。
ネタバレがあるので、たたんでおきます。


映画には共感を前提とした「分かりやすい」のと、真意を探る事に面白さを置いている「分かりにくい」のとが
あると思うんですが、これはどちらかというと分かりにくい方かな。
ストーリーと展開がほとんど一致しない上に、ストーリーの補完があまりされないので、一度見ただけでは理解して観終われないなあ、と正直思いました。
もしかしたらこれは真意を探って見つけるようなものじゃなくて、違う視点の高さや違う層から観ないと分からないのかも。
なのでちゃんと読み切れてない部分もあるんですが、冒頭でフジモトが意味不明なことを呟いているシーンに差しかかった時、「あ、これ説明するつもりないな」となんとなく感じたのでストーリーの深読みはそこで放棄しました。


この話の構造は、とても普遍的な「少年と少女の物語」なのかな、と思いました。
この宗介って子は、初めから子どもとして存在してなくて、かといって大人でもない、主人公を予定されている人物として描かれてるんじゃないか、と思いました。母親を名前で呼ぶって言う事は、それって親じゃないってことだと思うんですね。一応、血のつながった親でそういう描写もあるけど、感覚的には並列に置かれてる感じがしました。だからリサは宗介に対して、子どもとしてではなく、これから何かを背負う事になっている人物として、接しているんじゃないだろうか。あるいは並列にいる者として、宗介に対して思いっきり自分の感情を露にするんだろうと思いました。だって「子ども」の前で、いきなりビール飲みだしたりしてふて腐れる「親」ってあんまりいないだろうし。
リサが宗介に運命について語ったり、子ども達だけを置いて出かけてしまうシーンに、そういう感じがしました。
で、宗介が背負うものって言うのが、ポニョのことで、この女の子の人生を引き受ける役割が宗介なんですね。
じゃポニョは一体なんなのかって言うと、自然と人間の両生類で、最後には人間になる女の子なんですが、
この子は「生」の象徴だろうと思いました。そうだとすると、老女達が「死」の象徴になるような気がします。「生」っていうのは、魔法のように何でも出来る超自然が「生」ではなくて、少しずつ失って行く事、要するに「死」に少しずつ近づいて行く事だと思います。なのでポニョは人間になる為に、自然の力を捨てなければならないんじゃないかなと思いました。
で、宗介は「生」を引き受ける為に、まずいろいろな事を知らなければならないんですね。それが後半の冒険にかかっていて、例えばいつも車で通る道を自分の足で歩くとか、いつも頼っていた人(リサ)が居ない事に気づくとか、そういうことが経験されるシーンなんだなあと思いました。
そしてこの冒険の最後には、生のカウンターパートである死の象徴、老女の胸に飛び込んで死の手触りを感じなければならなかったのではないかな、と思いました。


映画の中で印象的だったのが、やっぱり津波のシーンでしたね。どわーっと溢れてくる波やその上を全力疾走するポニョが、観ててすごい爽快感がありました。海のシーンはどれも幻想的で素敵でしたね。
それと冒険に出かける前の、食料をリュックに詰め込むシーンにすごくワクワクしました。これから知らない世界に出発するんだ!っていう冒険心をくすぐられましたね。
街や森が海底に沈んだ風景もすごく良くて、まるで空を漂っているような感覚がしたり、古代魚のデザインがどことなくメカっぽくて、面白かったです。
絵や動きは本当に観てて楽しめる品質の高さなので、あまりオチに固執しなくても良いんじゃないかな、と思いました。