「対岸の彼女」

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読み終わった後、読んで良かったなあと思えましたが、読んでる途中はすごくもやもやしてました。多分自分の投影を見ているからなんですが、主人公が公園デビューできずに悩む姿なんか、共感を覚えるというより憂鬱になりました。子どもどころか結婚もしてないけど、自分も同じ事しそうだな、とかすごく想像出来るんですよね。この作家さんの描くリアリティは本当に的確過ぎて心臓に良くないなあ(笑)
そしてこれは多分、自己実現の話ではないと思います。主人公の小夜子は、見ててハラハラするくらい「自分」が中心からこぼれ落ちているようなキャラクターなんですが、私も含めて現代を生きている女性はどこかしら「自分」を何かに依存していると思うんですね。キャリアや年収だとか、結婚とか家庭があるということに。だけどこの物語ではそれを克服しようとはしてなくて、前提としている。専業主婦がキャリアを手に入れて幸せだとか、負け犬がゴールして勝ち組に、というレベルのその先のお話なんだと思うのです。その先も人生は続いているという当たり前のことを前提に、どうしたらもうちょっと肩の力を抜いて生きて行けるだろうか、ということを提示しているように思いました。


その女性が生きて行くのを阻害するもの。女性の敵は言うまでもなく女性なんですが、この物語ではあまり女性の醜い争いというのはなくて、どちらかというと淡々と描かれているように感じました。それに女性だけじゃなく、敵はいろいろなところにいるんです。この辺りの描写は特にリアリティがありすぎてなかなか冷静に読めませんでした。この女性が戦っている敵というのは、最近では空気って言うけど、私的な世界のことなんだと思います。「世界」を相手に戦ってるってちょっとカッコいいですけど(笑)、実際はかなり地味で大変で誰も気に留めない仕事なんですね。それを象徴しているのが、ホームクリーニングという仕事で、女性の負の部分を凝縮したような家庭の汚れを掃除するんですが、これが女性の向き合う世界を象徴しているように思いました。この表現は全体を通して、様々な形で引用されててそれが上手く小夜子の内面と呼応していて面白かったです。


この物語は二人の女性の過去と現在の二重構造を取っていて、もう一人の主人公の葵が向き合っているのが「川」。やっぱり女性のお話には、水回りはどうしても必要なんだなあ。この川も女の子が生きて行く障害の象徴として何度も登場するんですが、その彼岸に居るのがナナコという人物なんだと思います。彼女はある意味この世界の人間ではないんでしょう。その二人が、川が流れ着く海で何の障害もなく分かり合うんですが、女性が本当に同性の事を過不足なく理解する時は、言葉はないと思うんですね。その瞬間が誇張せずにさりげなく描かれていてすごく良かったです。
葵はこういう同性を理解する瞬間を体験として持っているから、自分が信じたい方の「世界」、女性の負の部分と戦う「世界」ではなく、同性でも分かり合えるはずだという「世界」を選ぶ事ができたんだと思います。


最後に彼女達は上流へ向かって駆け出して行くんですが、これが表しているのは、源流はとても近いところに居るんだよ、ということを表していると思うんですね。同じではなく。そして対岸に居る別の世界の人でも知ろうとすることが出来る。「世界」を困難にしているのはこの知ろうとしない、ということなんだろうと思いました。