「レッドクリフ Part2/未来への最終決戦



赤壁の戦いは、208年だそうだ。今からおよそ1800年も前の出来事。「三国志」はよく知らないけど、赤壁の戦いというのが昔あったんだって、というくらいは知ってた。誰かが語っていたのを伝え聞いたんだと思う。物語はどんな形式であれ、何かを語り継ぐためにある。英雄の胸がすくような武勇伝を、美しい姫と勇敢な騎士達の救出劇を、賢い少年の驚きと発見に満ちた冒険を、街角で、食卓で、寝室で、人から人へ語り継いで来た。語り部は時に面白おかしく、時に訓戒を込めて、伝えたんだと思う。語り部の主観を経る度に様々な尾ひれを付け加え、また削ぎ落とされながら、物語は人々の間に存在し続けて来た。長く伝えられて来た物語には、強度がある。どんな時代の価値観にも耐え、どんな言語の制約も超える強さ。1800年も語り継がれて来た「三国志」には、そういう物語そのものの強さがあるんだと思う。


そして1800年が経過した。物語を語る手段は変化する。口伝えから書物へ、そしてアナログからデジタルへ。語る主観も変わって行く。1800年前の現実と、2009年現在の現実とではあまりにも違う。例えば彼らは天気を自分の目で見て知るしかなかった。今では雲の遥か上、気象衛星で天気の動きをリアルタイムに知る事が出来る。当時と今では向き合う現実は、かなりかけ離れている。けれど、私たちはやっぱり雨が降りそうな時は、空を見上げる。1800年前の人たちがしていたのと同じように。そういう現実の感覚、リアリティは、きっと変わってない。医学や戦いの技術は人の外にある物を変えて来たけど、やっぱり人はあんまり変わってないんじゃないかと思う。誰かを信頼すること。何かを信じてそれを貫くこと。そういう変化しにくいものが織り込まれている物語は、どんな時代でも生き抜いて行くんだと思う。


この出来事は過去のものだ。でも語り部は現代の人間だ。だから現代のリアリティがそこに織り込まれている。情報が筒抜けの時代、人は簡単に騙された。それなりの格好でそれなりの場所に居るだけで偽装できた。それを古い時代の人間の知恵のなさだと笑うのは簡単だけど、本質的に人を信頼していなければそもそもそういう偽装はできない。その人間が信頼するに足るかどうかという、人を見ぬく感覚に、認証技術は関係がない。情報は大切だけど、それをどう取捨選択するかという、人間が持っている感覚の重要性が問われている。だからこの映画はどこまでも人間的だ。人間は一枚の絵のように平坦ではなくて、もっと様々な考えや思いを持っているんだということを、ありきたりな言葉ではなく、行動で物語っている。アクションは単に観た目の派手さや楽しさもあるけど、行動することで伝えられることもある。アクション(行動)で伝えられることは、シンプルなものでしかない。けれどそれは、とても強い。そのアクションの強さと物語の強さを合わせて語ったのが、この物語だ。


映画の表現について。
やっぱりアクションは大きなスクリーンで見るに限るなあ。Part1を映画公開見送ったのが悔やまれる程、アクションが楽しい映画でした。特に後半の攻め込みは、ぞくぞくするくらい素晴らしかったです。役者陣がとても豪華で、トニー・レオンさん(周瑜)と金城武さん(孔明)もとても良かったのですが、中村獅堂さん(甘興)の海賊上がりの凶悪な面構えがすごく楽しかった。あれならパイレーツ〜でもいけるわ。チャン・チェンさん(孫権)のつり目で若造っぷりもとても素敵だったのですが、曹操役のチャン・フォンイーさんの悪いおっさんぷりが、後半きゅんとしました。史実はよく知らないけど曹操ってそんなに悪いやつでもなくて、人心掌握に長けた頭のいいおっさんだったんじゃないかと思わせる演出がぐっときました。小喬(リン・チーリンさん)は、いわゆる傾城、一国を傾かせるほどの美女という役割なんですが、分かりやすい美女ではなく、そこに母性を挿入するセンスがとても良かったです。