「スラムドッグ$ミリオネア」



知識が物事を何かに役立てるために覚えておくことだとしたら、知恵は生きるために必要なことを知ることだ。例えば、知識は読み方が難しい漢字の読み方を知ってること、
物質が何で構成されているかを知っていること。知識は生きて行くというよりも、もうちょっと文化的な生活を送るためのものだ。でも、もしお金の数え方を知らなかったら、文字が読めなかったら。日本の識字率はほとんど100%に近いというし、一応義務教育では数字の数え方から教えてくれるから、ちょっと想像しにくいけど、かなり大変だと思う。みんないい人で誰も騙す人がいないなら心配ないけど、お金の数え方を知らないがためにずっと低い賃金で働かされていたら。文字が読めないために不利な契約を強いられるんだとしたら。読み書きそろばんとは上手く言ったもので、生きて行くために必要なのはこれだけ。こういう知恵は社会で生きることに直結する「知」だ。この物語は、生き抜くための知、知恵の勝利の物語だ。一方で、生き抜くことの困難さは、人に知恵を与え強くする。でもそれは強いられた強さだ。強さを自分で選んで勝ち取る人もいるだろうけど、たいていの人は周りの環境に強いられて、強くなるんだと思う。そういう強さを人は持てるという希望を描くと同時に、それを強いた周りの残酷な風景もこの物語は冷静に見つめている。それでも、生き抜くことの困難さから勝ち取って来た痛みを伴う知恵が、お上品な知識に負ける訳がない。これはそういうタフな物語。


映画の表現について。
全体を通して、レンズが開き気味で背景が飛びがちなカメラがすごく良かったです。儚げなのに、その割に色味が濃くて、乾いてガリガリした感じ。こういう写真が撮りたいなあ、と見とれてました。冒頭の子ども達が駆けて行くシーンが一番印象的でした。それとゴミがちゃんとゴミとして描かれているところ。スラムの惨状を描いていると思うのですが、建物と同じくらいの高さまで積まれたゴミや、川に垂れ流される汚水とか、人と人との距離がほとんどない密集に、都市の暴走を感じてワクワクしてしまいました。(ワクワクするところじゃないんだろうけど。)香港もそうなんですが、人が密集して出来た都市には、何か行き過ぎている暴走した感じがあって好きです。建物とか、素人ながらその設計はまずいんじゃないの、っていう。あと、舞台がインドなのでインドの人たちへのサービスなのかもしれないけど、何故か最後に踊るシーンが微妙でした。インド映画ってムトゥしか観てないけど(懐かしいな!)、やたら踊るんだよなあ。いや、いいんだけど。