「グラディエーター」



誰かのために戦うことと、何に忠誠を誓って戦うかということは、違うんじゃないかなあ、と観てて思った。身近な人の安全や自分の国を守るためとか、戦いには理由がある。誰かに向けて、あるいは自分に向けて大きな声で言える理由。でも戦いの場に出た時、恐ろしい武器を持つ敵を目の前にした時、それでもそこに踏み込んで行って戦うには、その理由を確信している必要があるんだと思う。自分がそれでいいと思える何か。忠誠を誓うというとちょっとお上品だけど、ブレないで貫くことができる何かがきっと必要だ。この物語では、戦うための理由がどんどん削ぎ落とされて行く。それでも戦い続けるのは、忠誠を誓った何かがあるからだ。それがむき出しになって行く様は、痛々しいほど荒っぽく、そして泥くさい。


暴力というのは娯楽なんだと思う。性も同じなんだけど、身体的、原始的に興奮するのを人は止められない。劇中、激しい戦闘で負傷したり、あるいは身体が欠損したりというシーンが少なからず登場するのに、不快さがあまり感じられなかった。娯楽としての暴力を積極的に観せようとしているようにも思える。物語が進むに連れて娯楽を提供する側も、楽しむ側もどちらも醜悪なほど熱狂していく様が、これを肯定している。そしてそういうのをやっぱり、面白いと思う。