「インビクタス 負けざる者たち」



近年ますます精力的に映画を撮り続けている、なんかすごいおじいちゃん、クリント・イーストウッド監督の最新作です。


これまでの映画だったら、きっとマンデラ大統領が選挙に勝つまでを描いていたと思うんですよ。ラグビーのワールドカップよりドラマチックに思えるし、彼の人物像や信念を描くにはそっちの方が分かりやすいだろうし。でもこの映画は、彼が大統領に就任するところから始まるんですよね。いつもの物語の「めでたしめでたし」の、その後の物語とも言えるわけです。


それにしてもこのマンデラ大統領の描写、ちょっとあっさりしすぎじゃないかなあなどと観ながら考えてしまいました。家族とうまく行っていないシーンや、彼の長い刑務所生活の描写とか、ネルソン・マンデラという人間の別の一面を見せるシーンはいくつかあるんだけど、人物伝としてはあまり掘り下げていない気がするんですよ。そもそも主題がラグビーのワールドカップだから、彼がどういう政治をしようとしたかとか、それがどうなったかとかそういうのはほとんど説明がない。ちょこちょこ演説のシーンがあるくらいで、この映画は別に大統領の人生を描いているわけではないんですよね。


では、この映画では何を描こうとしているのかというと、変化そのものを描こうとしているのではないかと思うのです。そしてこの大統領の役割は「不変」じゃないかな。彼の主張や意志って首尾一貫、最初から最後までまったく軸がぶれてないんですよ。彼だけが始めから変化していない。そうすると、彼を中心として何が変わったかが劇的に見えてくるんですよね。その変化の象徴としてラグビーのワールドカップが描かれているんだと思います。そしてこれはいわゆる「スポーツもの」でもないんですよね。大統領自ら監督するわけでもないし、何か特別な奇策が出てくるわけでもない。選手たちはいつもどおり実直に練習を重ねるだけ。大統領は実務に忙しくて試合をテレビで見るしかない。でも、彼らを取り巻いている大勢の人々の気配のようなものが、どんどん変わって行く。それを端的に表しているのが、スタジアムの群衆のシーンじゃないかな。終盤の、大きな一つの波のような熱狂はその変化の最高点なのでしょう。この映画は、登場人物などの物語の中心を観る映画ではなくて、その外側、変化を観る映画なのかもしれません。


モーガン・フリーマンの演技はとても素晴らしくて、キャプテン(マット・ディモン)とお茶をしながら信念を語るシーンは、親しみやすさの中に貫禄や威厳をうかがわせる演技が本当に見事でした。あと大統領のSPさん達が人種差別の障害や超越をとても上手く表現していたのがすごく素敵でしたね。ラグビーが嫌いな黒人男性のSPさんが、ルールをよく知らない観客の理解に一役買っていて、いやー本当イーストウッドってよく分かってるね!って思いました。