「神狩り」

神狩り (ハヤカワ文庫JA)

神狩り (ハヤカワ文庫JA)

先日読んだ「わたしを離さないで」もしみじみと人の運命について考えさせられるとても良い作品だと思ったのですが、やっぱりこういうお話のほうが私には時々必要なのだと思います。「わたしを〜」がそっと世界から目隠しされるお話なら、これはその目隠ししようとする手を掴もうとする物語。

山田正紀さんの小説は短編しか読んだ事がありません。今回初めて長編を読みましたが…これが30年以上前に発表された作品だとは思えなかったです。コンピュータが非常に高価で大学や企業が所有するものをみんなで使い回していたとか、大学紛争が絡んで来たりとか、表面的な描写は確かに時代を感じるのですが、アイデアの根幹は現代にも通じていたりするんですよね。例えば、連想コンピュータという、スパコンのような大きさのハードウェアが登場しますが、これは現在では人工知能分野のエキスパートシステム(ソフトウェア)として受け継がれています。けれどこの物語の一番面白いところはそういった技術にあるのではなくて、この技術を使っても解読できない「言葉」そのものにあるんだと思います。
一度でも英語などの母国語以外の言語を習うと分かると思うのですが、とりあえず最初は何も分からないですよね。ボキャブラリを増やし、文章の構成(文法)を習得して初めて文章のイメージが浮かぶと思うのですが、そのイメージは単語の読み間違いや文法の勘違いがなければ、発話した人の描いたイメージと一致するはずです。完璧に一致するのは難しいとしても、言葉の意味を理解するということはそのイメージを脳のなかに描き出すこととも言えます。逆にその文章が理解できない時というのはイメージできないというでもあります。これは過去のことを言っているのか、それとも想像上のことなのか*1、この単語は他に違う意味を持っているのかなど、いろいろ推測しますよね。自分の中のもやもやしたイメージをはっきりしたものに近づける行為は、言葉の意味を探ることでもあります。この意味を探るということはごくごく自然に人が行っていることなんですよね。だから人は何か文字のようなものを見つけると、意味を見出そうとしてしまう。この行為自体は本文にもあるとおり人間の脳の機能に備わっているものだからでしょう。ではもしもその言葉が絶対に理解できないとしたら?言葉っぽいかたちなのにその意味するところをまったくイメージできない言葉があったとしたら。その言葉自体に果たして意味はあるのでしょうか。絶対に探し出せないと分かっているものを探す人はいません。この物語に登場する「古代文字」そのものには意味はないのです。だって理解できないから。でもそんなものを見てしまったら、人はやっぱり自然にそこに意味を読み取ろうとしますよね。じゃあその行為そのものに意味はあるでしょうか。ありませんよね。でもその行為に意味を与えることは出来るんじゃないか、と思うんですよ。理解しようとする過程で得られたこと失ったこと、工夫や努力したこと。意味を探すのではなく、意味を持たせること。それを描いているんだと思うんですよね。
もう一つ、ここで言う神は、生きる動機を非常にひねくれたやり方で与えているのでは?ということではないかと思うんですね。生きる動機はなにもポジティブなものばかりじゃなくてもいいわけで、漫画「ブラック・ジャック」だってBJは復讐に生きてるようなところがあると思うんですよ。結果的に人類は自分たちの行動に意味を持たせようと凄まじい努力をするわけで、悪意というよりもスケールのでかい「小さな親切」な感じがしました。余計なお世話の迷惑も壮大だけど。
この主人公の、科学者なんだけど自分の研究成果にも立身出世にもとても積極的というか攻撃的で、学者らしいというよりは孤高の天才という感じのキャラクター像がとても面白かったですね。あまり過去の描写はなかったのですが、ひょっとしてすごく貧しい家庭で育って新聞配達しながらポケコンでコード書いてたりとか、キャプテン翼の日向くん的なものをぼんやりと思いました。

*1:英語の仮定法ではよくあるパターン