「アイアンマン2」

映画に限らず漫画やゲームでも2作目が1作目を超えるのは難しいということはわりとよく知られているかと思います。目新しいビジュアルでは勝負できないし、また「前作」という枷が迫力や展開を制限してしまうことがままあるからです。だからあまり期待しないで観に行ったんですが…むしろ私は2の方が好きでした!!愛してる!社長!きゃー抱いてー!

前回はトニー・スタークという一人の男がアイアンマンになるまでを描いていました。トニーという人間よりもむしろアイアンマンというヒーローをいかに立たせるかに注力していたと思います。古参のアメコミファンならよく知られたヒーローだと思うのですが、それを私のようにまったく知らない人に新しいヒーローとして焼き付けること。トニーは結局、最初から最後まで「中の人」でした。しかし今回は、アイアンマン本体のアップグレードと、トニーの内面の克服がうまくリンクしていたと思います。確かにあまりよく出来たお話とは言いがたい軽薄な印象は前作に続き否めないのですが、前回の「悪い父親」の克服とは対照的に今回は「良い父親」との和解が描かれていて(いや本当ベタベタだとは思ったんですが)トニーの父、ハワードがスクリーンから息子にメッセージを送っているシーンはとても良かったです。

そしてもう一つは、技術者としてのトニー・スタークが描かれていると思いました。前回のトニーは、誰も追従する事の出来ない唯一無比の天才技術者として存在していますが、今回はライバルが登場します。それがウィップラッシュことイワン(ミッキー・ローク)なんですね。
トニーは、アイアンマンは二人と存在しない、と言い切ります。自分自身がアイアンマンと同一であり、それを分けることはできない、と。ここには彼のナルシスト的な性格も大いに関係していると思うのですが、技術者としてのプライドとも取れると思うんですね。そして彼は、一人の技術者として自分の生み出した技術に対して責任を持とうとしているのではと考えられるのです。
技術には二面性があります。よく切れるナイフをどう使うのかは、使用する人間に問われるもの。トニーがアイアンマンに固執するのは、世界にというより自分自身にそれを使いこなせる資格がある、と証明したいからなのかもしれません。そしてそれを誰にも譲渡しようとしないのは、それがいかに危険であるかを熟知しているからこそだと思うのです。彼はそれを自分だけの使用に制限することで、技術に責任を持とうとしている。もしこれが軍の手に渡って世界各地で使われるような事になったら、彼は前作の状態に戻ってしまう事になります。その「責任を持つ」ということをより際立たせているのが、ライバルであるイワンが生み出す無人機(ドローン)の存在です。これには「中の人」が居ない。これが意味するのは、責任を取ろうとする人間が存在しない、ということにならないでしょうか。プログラムに責任は取れません。プログラムを作った人間は、上司の指示で作ったと言うだけでしょう。これは実際もっときちんと考えておかなればならないことなのではないかと思います。現在、家電や自動車に組み込まれているプログラムは年々高度になってきています。先日のトヨタのブレーキ不具合にしても、人と機械との責任の境界がとても曖昧だなあと感じました。誰がその技術を使う責任を持つのか。この映画においてイワンのやっていることは確かに「悪」ですが、それ以上に恐ろしいのはそれを使う責任を全く放棄している、ということなのではないかと思いました。

それにしても今回は「これが見たかった!」というシーンがとても多くて見応えがありました。素敵なおっさんがタキシード着てパワードスーツから出て来るだけでもうスタンディングオベーションしそうになったわ…。この映画の最大の面白いところはパワードスーツの中におっさんが入って戦う、というある意味アナログな部分なのですが、それに対抗して、デジタルな無人機を後ろでこれまたおっさんが地味にオペレートしているという、形は変われど私の大好きな「おっさんどうしの殴り合い」が熱くて素晴らしかったです。それにこの映画って技術者としての心構えというか、当然そうあるべき姿勢をさりげなく組み込んでいるんですよね。一つは「(試行錯誤以外に)同じ作業を繰り返さない」(1でのオートーメーションとか)、もう一つは「常に改良」。アイアンマンスーツが小型化・軽量化してるの観た時は本当に、背筋がぞくぞくするほど面白かったです。変身シーンがまたかっこいいんだよなあ。あんな赤金のアタッシュケース持ってるビジネスマン居たらそれだけで惚れてしまうわ(笑)あと、前作でも感じられた「パワードスーツつくってみた」的な手作り感覚が今回も踏襲されてて、私はお家で加速器を作ってしまうような男が大好きだなあとしみじみ思いました。