「ザ・ウォーカー」

崩れかけた高架橋や、廃墟、そして全体的にトーンを落とした画面がとても良かったです。こういう架空の世界を描く時って、映画という嘘に現実が映り込むのを回避するためにあまり全体像を映さないことがあるのですが、ただただ一直線に伸びる道路や見渡す限りの荒野と大空を大きくゆったりと見せることで「失われてしまった」感じがよく出ていました。こういう空間で荒廃した感じを出せるのは、やっぱり国土が広いからなんだろうなあ。
ただ、ちょっと残念だったのはストーリーが平凡だったこと。うーん、デンゼル・ワシントンゲーリー・オールドマンという知名度も実力もある役者さんたちを揃えていて画面には見飽きないんだけど…。「荒廃した世界」というイメージをこのド素人の私が想像するように描き出しているんですよね。なんというか想像の範囲内なんですよ。まあそうだろうな、とは思います。この映画は主題である「信仰」を描いているのであって、別に目新しいイメージを提供しようとはしていないんでしょう。でもやっぱり背景だけではなく身近な小物やデザインで「失われてしまった」雰囲気を出して欲しかったです。
映画の主題は信仰だと思いました。と言ってもたぶん特定の宗教の信仰という意味ではなく(そういう意味での「信仰」は分かりませんが)、何かを成し遂げるために必要な支えとして、二人の男の立場から描いていると思うんですね。その支えをイーライ(デンゼル・ワシントン)は言葉の意味に、カーネギーゲーリー・オールドマン)は言葉そのものに見出している。意味というか文脈というものですかね。イーライは言葉が構築する世界そのものを支えにしているのでしょう。でも私は言葉そのものに固執するカーネギーの方が身近に感じました。彼は言葉の持つ力や影響をよく知っている。言葉には確かに意味があるけど、時として意味を上回る力を与えることがあるのは、偉人のスピーチなどを聞くと明らかです。カーネギーはその力を支えとしているのではないかと思いました。