ソーシャル・ネットワーク

世界的なSNSソーシャルネットワーキングサービス)、Facebook創設の物語。

公開前から日本と海外のSNSの違いがどうとかいろいろ言われていましたが、実際に観てみたらネットワークはあまり関係ないんじゃないかなという気がしました。
この映画は創造性の光と闇を描いているように思います。主人公マークにはアイデアを現実化する創造性はあっても、アイデアを発想する力がありません。冒頭から親友にアイデアアルゴリズム)を聞いたり友人の愚痴から発想を得たりと、そういう自分から外部の何かを取り入れて既成概念と融合させるという力に乏しいんじゃないかと思うんですね。そもそも既成概念が常人とはちょっと異なるところに、彼の創造性の源があるのかもしれませんが。ただ、ひとたびアイデアと創造性が結びつくと、彼は途方もない世界を書き上げます。そう、コンピュータの世界はすべてコードで記述されているのですから、世界は書き上げられるのです。この「世界」を自在に創造して行く感覚、コンピュータでコードを書いていてこの幼稚な万能感を感じたことのある人は少なからず居ると思うのですが、その万能感をこの映画では見事に表現しています。冒頭の大学内のサーバーをハッキングするあのリズム感、巧みなカッティング、マークの人間と話すにはあまりにも最適化されていない早口のしゃべり方。これが創造性の光の部分なのではないかと思うんですね。
一方で、その創造性がもたらす闇というのが友人や知人との確執なのではないかと思います。この映画でのマークの能力というのは本当に内側に向いたものでしかないんですね。それを外に吐き出させる力が必要で、彼はその部分を親友ではなく同じく創造力を持つ別のクリエイターに求めてしまう。何故なら創造性というのはクリエイターどうしでしか理解できないから。でも、ちょっとうろ覚えですが、マークはもう一人のクリエイター「ナップスター」創設者のショーンからは一度も具体的なアイデアを得ていないような気がします。(精神論的なアドバイスばっかりだったような)自分が理解できない部分があるからこそ他人は必要なわけで、そこを理解できないマークという人物の創造性に偏った特殊な性格を上手く描き出していると感じました。そしてそれを互いに理解できない闇の部分を、親友エドゥアルドとの対立で浮き彫りにしているのではないかと思います。
最後にこの映画は、ある種の虚無感に覆われて終わります。それを読み取ることがちょっと難しいのですが、マークの能力が示すような「歪み」がそれ自体そのままで存在することをこの世界は許さない、というメッセージのような気がしました。
この映画の全編を流れる音楽をよく聞いてみると、澄み切った美しいメロディの背景に常に不穏な音が流れているんですよね。観ている途中で「これは何か光と闇とを同時に表しているんじゃないか」という着想を得たのも、この音楽があったからこそでした。
冒頭で彼女とまったく噛み合ない不毛な会話をしているマークが着ているのが、GAPのパーカーだっていうのはギャグなんですかね。どうなんだろう。それと、「窓に書いたアルゴリズムを覚えてる?」というセリフがちょっとぐっときました。これって別にゲイでもない親友からマークにかけられた言葉なんですけどとてもロマンチックですよね。