天冥の標2 救世群

天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標1 メニー・メニー・シープに続くシリーズ2作目。前作のファンタジー色から一転、舞台は現代の地球。主人公は日本人の男女、感染症専門医の児玉圭伍と、感染源を特定しパンデミック(大規模感染)を社会的な方面から防ぐエージェントの矢来華奈子。この二人を探偵コンビとみなして感染源という犯人探しのミステリーとしても読め、また探偵もののハードボイルドな雰囲気も感じられて面白かったです。

今回もがっちりとしたSF基盤に支えられた安定の展開でしたが、SFネタの盛り込みよりも、「穢れと浄め」という主題の方に注目しました。穢れって、汚いというのと少し違うように思うんですね。汚いって思っても埃や泥汚れを払うようにそれはきれいにできるはず。でも穢れってその方法が分からない不安感があると思うんですよ。例えば、この作品では治癒方法の分からない感染病だと思うんですが、現在なら放射能汚染ということになるでしょう。これらの情報が科学的根拠のある数字と共にアナウンスされても、不安がなくならないんですよね。それってやっぱり埃や泥のように、目に見えて「きれいになった」って確認できない、というのもあるんじゃないかと思います。そしてそれが個人の感情の上だけでなく、社会とか国家とか大きな数の人の間でその感覚が共有される、ということ。浄めというのは、この穢れに対抗する集団心理の防御機構なんだと思うんですね。で、それをこの作品では性交渉をその儀式として描いているように思いました。ここでは、セックスを3つの意味で描いているように思うんですね。一つは生物的な欲求としての普通のセックス、二つ目はこの穢れに対抗する禊としての儀式、そして最後は神聖なものを犯す穢れそのものとして。これをそれぞれ登場人物が担っていて、そしてこの三人は性交渉しないんですね。これはすごくきれいな対比だなあと思いました。一番分かるなあ、と思ったのは一番最初の意味ですね。正直に言えば禊としてのセックスって感覚的にちょっと分かりにくかったです。ちょっと下品な話ですが絶頂ってそういう感覚なんでしょうかね。まあ個人的には生理がちゃんと来ると浄めというかすっきりする感じはしますね(笑)
1と2では設定にだいぶ開きがありどう繋がるのかなあと思っていましたが、1のストーリーが薄く重なって透けて見えるような展開ですごく面白かったです。登場人物はこの物語での役割をきっちりと担っているのですが、関係性の中に1と重ね合わせる部分があったりしてわくわくしましたね。

それはそうと、1の感想書いてて<海の一統>という呼称を海の統一と書いてしまってました。ぎゃー間違えた。海の一統ですね。すいません…。