アジャストメント

ダウンタウン出身の上院議員候補として精力的に活動するディヴィットは、魅力的な女性と偶然出会うも名前も交わすことなく別れてしまう。そんなある日、彼はバスの中でその女性エリースと運命的に再会する。しかしその出会いは謎の組織「アジャストメント・ビューロー」にとってあってはならないことだった。ディヴィットはエリースと引き離そうとするその謎の組織に追われることとなる。

この世界は唯一の「作者」によって書かれている物語である、という仮説。運命とはその書物の文脈であり、それを登場人物が書き換えることは不可能である。というお話。私の好きなゲーム「メタルギアソリッド」の中にこんなセリフがあります。「脇役でもストーリーを変えることができる」*1。この映画の着地点は、まさにこれで、物語の登場人物だって運命に流されるだけじゃなく、自分で選択することができるんだ!ということだと思うんですね。うんうん、よく分かるしそういうの好きですが、やっぱりそれも折り込み済みの展開かもしれないって思うわけですよ。こういう風に考えてしまうのは、やっぱりMGS2伊藤計劃さんの著作を読んだからなのかもしれないのですが、そうするとどこまで行っても物語のページから出られないという虚無感が漂ってくるんですよね。そういう虚無感をそういうものとして受け入れる、という姿勢が上記の作品だと思うんですね。だから、そこからもうちょっと考えてみると、果たしてこの物語を正しく読めてる「読者」は存在するのかな、と思います。この「作者」はいったい誰に向けて物語を書いてるのかなと。物語を解釈する「読者」、それはその世界そのものなんじゃないかと思います。そういう世界が解釈する物語として、この映画は存在している。と書くとちょっとディックっぽい感想になりますかね。

この映画、ニューヨークのいいところがばしばし映ってて楽しかったです。ディヴィットがアジャストメントチームの一員であるハリー(ディヴィットをバスに乗せてしまった人)と話しているあの場所って、ニューヨーク市立図書館じゃないかな。漫画「バナナフィッシュ」で同じシーン見たような気が。ハドソン川にかかってた橋は、ジョージワシントン橋かな。あのアーチはMGS2で見覚えがあるんだけど。それとちらちら映ってたてっぺんに尖塔があるビルはクライスラービルかしら。自由の女神像のあるリバティ島などなど、ニューヨークのロケーションがたっぷりで行きたくなっちゃいました。

*1:このあとのスネークさんの「なんとかバットエンドだけは避けてみる」ってセリフがちょうかっこいいんですよね。きゃー。