猿の惑星:創世記

サンフランシスコの製薬会社に勤める研究員のウィルは、脳神経を回復する画期的な新薬を開発するも役員の前で失態し新薬の研究は破棄、薬の効果を実証できる唯一の実験体であるチンパンジーも処分されてしまう。しかしその実験体のチンパンジーが産んだ子どもを引き取り、シーザーと名付けて家で育てているうちにウィルはシーザーが通常のチンパンジー以上の知能を持っていることに気づいた。

そのエンディングで多くの観客の度肝を抜いた映画「猿の惑星」の前日譚となる今作。前作は宇宙探査に出発した宇宙船が不時着したのは、猿が人間のように世界を支配する惑星だったーという映画で、アクションとしてもSFとしても、そして最後に提示されるメッセージの強さも傑作でした。
で、そのシリーズ最新作となる今作は実際あまりストーリー部分には期待しないで予告で観た猿の描写がリアルですごいなーくらいの気持ちで観に行ったのですが、思った以上にストーリーが良くてびっくりしました。基本的にはSF映画なので当然SFネタの仕込みもきちんとしていたのですが(ここもすごく分かりやすく大風呂敷広げてて良かった)、その上でさらにしっかりとドラマを描き出すことにも成功していたと思います。
個人的に、偉大な科学の研究の動機には私的な理由がある、という設定がすきなんですが(例えば人間に似せたロボットを作ったのは亡くなった子どもの代替である、とか)この科学者のウィルはアルツハイマーが進行する家族を抱える普通の人でもあるんですね。家族を救いたいという気持ち、家族に対する愛情がその根底にあって、だから彼が実験体が残した子チンパンジーを引きとって一緒に暮らし始めるという部分に強い説得力が生まれるんですよね。でも、子チンパンジーのシーザーは普通のチンパンジーではなく、どんどん賢くなって行く。シーザーは家族も同然でその気持ちは変わらないのに、状況がどんどんそれを許さなくなっていってしまう。この暴力的に無常に変化していく状況を下支えするSFの説得力と、ウィルとシーザーとの間に育まれている普遍的で強固な家族愛が、きっちりと拮抗していてすごく切なかったですね。
そしてもう一つは、ウィルとシーザーの擬似的な父と子の物語でもあるんですね。ウィルは家族を愛するという穏やかな一面がある一方で、どんな副作用があるかも分からない新薬を使ってしまうような乱暴さも併せ持っている。そしてそれはそのまま、シーザーへと受け継がれていて、シーザーの家族という認識が種族という広がりを持つにつれて、それを救いたいという動機になっていくんですね。で、このシーザーの心的な動きを言葉ではなくすべて猿の演技でこなしている。目の動きや細かな所作、時にはチンパンジーの高度な身体能力を駆使したアクションでそれらを表現していて、それが言語以上に伝わって来て本当に面白かったですね。そう、このチンパンジーのアクションがまたすごい。人間がただ走るのとは訳が違う。こんな動きはどんなアスリートでもできないわ。腕力、敏捷、反応、どれをとっても人間よりも高い身体能力を持っていて、さらに知能まで上回ったらそりゃあ適わんわーと素直に思いました(笑)そして観ていてすごく気持ちいい。アクションで大事なのは観ていると自分がそうしてるかのように錯覚できる没入感だと思うのですが、そういう部分が感じられて楽しかったですね。ウキー。
あまりネタバレするといけないのでSF設定で一つだけすごく良かった点を。他の普通の猿たちがシーザーと同じように高い知能を得るシーンがあるのですが、眠りから目覚めた猿たちが「あれ?」ってなっているシーンがすごくぞくぞくしました。ああ、今この猿たちはクリアな認識の世界に初めて目覚めたんだというダイナミックな展開が、まったくの静けさの中で演出されていて、これはすごく良かったですね。

ネタバレ(主に前作との関連など)




幼少のシーザーがいじって遊んでいた自由の女神像に軽く笑いました。そういうちょっとしたオマージュや、有人火星探査船が消息不明になる(これにあのクルー達が乗ってたのか!)前作へのきちんとしたネタふりなど、随所に原典への敬意がみられるなあと感じました。あと、シーザーが保護される施設の壁に描かれた風景画もそうかな?サンフランシスコ市街でビルの上から仲間たちと槍を手にぞろっと姿を現すシーンは前作でも観た記憶がありますね。
それと最後のゴールデンゲートブリッジでの戦いがすごく面白かったですね。猿族ならではの利点を駆使して人間が蹴散らかされて行くアイデアや機転はすごく新鮮でした。
それと最後のウィルとシーザーの二人が対面するシーンも印象的でよかったですね。シーザーがウィルのもとから独り立ちした瞬間でもあるし、猿族という種族が人間に代わって最強の霊長類となった瞬間、という二重の意味が込められていたと思います。