- 作者: うえお久光,綱島志朗
- 出版社/メーカー: アスキーメディアワークス
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ごく普通の中学生波濤マナブ(女子)は、人間がロボットに見えるという不思議な少女毬井ゆかりの友人。ゆかりの奇妙な感覚を否定することなく受け入れるマナブは、ゆかりにとって貴重な理解者の一人だった。そんなある日、二人の間を揺さぶるような事件が起る。
ライトノベルだけどかなりSFっぽいと聞いて読んでみました。おおお!これ、イーガンやテッド・チャンの入門としてはかなり基本がそろってる感じじゃないでしょうか。まあ私はあまりイーガンを語れるほど彼の著作をきちんと理解してるわけではないですが(テッド・チャンもしかり)量子論(おなじみの猫ちゃんからコンピュータまで)から、フェルマーの原理(光の進行方向を一意に定める)、万物理論に、意識というものについてなどなど、SFでこんなに詰め込んでしまうとたぶん読み物としてはかなり重くなるようなところを、主人公を中学生に据えるというライトノベルのお約束でその比重を軽くしつつ、個々のSF要素を空想科学的にざっくりとした感覚で上手く編み上げてるなあと思いました。すごいね、「ライト」ノベルってだけあるわ。
意識の問題(クオリア)や量子論(多世界解釈)を、十代の子たちが少なからず感じている他者との関係性や、何者にでもなりえる可能性として置き換えて展開していく物語がすごく新鮮で面白かったですね。SF作家のグレッグ・イーガンは「人間が生きるとは、選択のたびに「そうなっていたかもしれない自分を殺す」こと」と彼自身の作品で述べたそうですが(読んでないけど「宇宙消失」より)、これは私も同じように考えていたことで、子どもの頃はあれになりたい、これもやってみたいとその時々で夢見ていたけれど、大人になっていく過程で人はいろいろとそういうあり得た自分を葬るものだと思うんですよね。(そしてこれがうまく出来ないとあり得た自分と言う幻想を探して旅に出る羽目になる)でもこの本の読者対象の中高生は、その可能性が、あたかも観測されないままに不確定の領域をさまよっている猫のように、うっすらと広がっていて何者にでもなり得る、だからこそ「あなたはあなた自身にしかなり得ない」という根拠を一番必要とする年代でもあると思うんですね。で、作中でその根拠を指し示すのが、他ならぬクオリアであるという構成、最後にその一点に収束するという展開は、いいかげん三十を越えてんのに「波動関数って名前かっけー」とか思ってるダメな大人でもすごく面白かったですね。
というわけで、おせっかい好きで嫌われるSF者らしく勝手にオススメしちゃいましょうかね。
フェルマーの原理にぴんときたあなたには、テッド・チャン「あなたの人生の物語」を。同じネタを使いながらも「人生」というものに対する新しい尺度を見つけることが出来るんじゃないかなと思います。「万物理論」ってなんやねん、という方にはそのものずばりグレッグ・イーガンの「万物理論」を。詳しくは…聞かないで下さい。(もう今しかこれをお勧めできるタイミングはないような気がするっ)量子論ってちょっと面白そうと思った人には、同じくイーガンの「ひとりっ子」を。本当は「宇宙消失」(同著)の方が近いのかもしれないけど。この短編集に収録されている「ふたりの距離」は他人の感覚を共有する実験を描いた作品で、この小説のテーマとも少し被るんじゃないかなと思います。あとは「人間がロボットに見える」という感覚の話ではなく精神世界の話としては、P・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」などが参考になるかと思いますね。ただしこれらの作品を読んで「うわーSFって重っ」と思われても責任は負いかねます(笑)
- 作者: テッド・チャン,公手成幸,浅倉久志,古沢嘉通,嶋田洋一
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- 作者: グレッグ・イーガン,山岸真
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- 作者: グレッグイーガン,Greg Egan,山岸真
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アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
- 作者: フィリップ・K・ディック,土井宏明,浅倉久志
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以下ネタバレを含む感想です。
このゆかりという「人間がロボットに見える」というキャラクターは、いわゆるクオリアという問題をそのまま体現している少女なんですね。クオリアは赤いものを「赤い」と感じる感覚、とよく例えられるのですが、言ってみれば現実っぽい感じを出しているもの、と言ったようなものです。じゃあこのゆかりには現実感がないのかというとそうではなくて、彼女には「ロボットに囲まれて暮らしている」という現実感があるんですね。でもそんな彼女にモノとニンゲンの区別はつくのだろうか。これを描いているのが、前半のエピソードの殺人鬼との対比だと思うんですね。これ、すごく上手いなあと思って、ニンゲンを人間として感じることが出来ないことと、善悪の判断がつかないということは、脳の機能的には全然別の話なんですよね。確かにゆかりはニンゲンをモノだと思って扱っているけれど、モノに対する愛情はちゃんと持っているんですよね。モノに囲まれているという現実感が確かにある。一方で、殺人鬼の方は善悪を判断する現実感が希薄になっているだけなんですよね。クオリアというものの定義の難しさを上手くお話に組み込んでるなあと思いました。
でもニンゲンが人間に見える側からすると、そのゆかりの現実感というのはとても理解できないもので、その辺の恐怖感が幼なじみの七美というキャラクターで表現されていたと思います。彼女は幼い頃にゆかりの手によって身体の一部を鉄骨に置き換えられるというトラウマを経験してしまっているのですが、この自分自身が分解可能な部品で構成されているという恐怖は、映画「イノセンス」でトグサが見る繰り返しの夢の中でも同じ恐怖を描いてました。この恐怖というのは人間は部品ではなく崇高な魂を持った、ある側面では超越的な生物である、という文化的な刷り込みが一瞬にしてモノへと堕落していくからなんですよね。逆に、そのモノがモノという一線を越えてこちら側にやってくる、いわゆる不気味の谷との境界にある恐怖なんじゃないかと思います。