シップブレイカー

シップブレイカー (ハヤカワ文庫SF)

シップブレイカー (ハヤカワ文庫SF)

石油や鉄鋼などの資源が枯渇した未来。打ち捨てられた船を解体するシップブレイカーたちの集落に生まれ、同じくシップブレイカーとして働く少年ネイラーは極貧の生活と、ドラッグとアルコールに溺れる父親の暴力に耐えて暮らしていた。最底辺の生活の中にも、親友のピマやその母親サドナなど味方になってくれる人たちに囲まれその日その日をようやくやり過ごしていた。ネイラーにはもう一つ心の支えになるものがあった。それはこの資源不足の中にあっても一部の裕福な人たちだけが持つクリッパー船という最新鋭の船だ。その写真を日々の心の支えにネイラーは生き延びていた。そんな中、ネイラーたちの暮らすビーチをハリケーンが襲った。貧しい家も何もかもハリケーンに吹き飛ばされ、命からがら逃げ延びたネイラーとピマはハリケーンが去った後のビーチにクリッパー船が打ち上げられているのを発見する。それだけでもとびきりの幸運であったが、そのクリッパー船の中でネイラーとピマは一人の少女に出会う。

「ねじまき少女」のパオロ・バチカルピ新作。前作は群像劇でしたが、今回は少年少女向けの内容でした。でもこの作家さん特有の「ものすごい濃度で風景を描く」という部分は削ぎ落とされずきちんと残っていて楽しめました。ほんと「ねじまき少女」でもびっくりしたけど雑踏ひとつ描くにしても、奥行きとか密度がすごいのよね。基本的に小説はストーリーを追って読んでるんだけど、そのストーリーそっちのけで描かれる迷宮のような風景がいちいちディテールにあふれてる。それがすごくSF的だというわけじゃないんだけど、見たことのない世界が存在感を持って感じられるというのは読んでて楽しいですね。

今回の物語はとても古典的なボーイミーツガールでもあるし、少年が自由を求めて旅に出る冒険もの、という解りやすいものでした。まあジュブナイル小説という位置づけなのか、二つの船(廃船とクリッパー船)がそのままネイラーと少女の関係とオーバーラップして貧富の差を表していたり、ピマやサドナに対して乱暴者の父親など血の繋がりではない関係の部分を丁寧に真摯に描いたりしていてとても読みやすかったです。でも読みやすいのってけっこう読み落としてることがあるんですよね。例えば今思うとネイラーの母親は亡くなっていて作中に一度も登場しません。その代理を担っているのが近くに居る大人のサドナという気がしますが、実は彼女は正しい父親の代理(女性だけど)であって母性ではない。(そして正しい父親の代理は途中からトゥールという人物に受け継がれる)中盤まではどちらかというと親友のピマがそれに近いけど、その役割を担う人物は後半には居なくなるんですよね。で、母性というと象徴的なのが海なので安易に「ネイラーは海に出ることによって母性と共に成長したんだわ!」としてもいいんだけど、海が時化すぎる(笑)波の谷間に命の花が…散ってしまう!そうじゃなくてネイラーを一貫して導いている母性は、とても気まぐれな運命の女神なのかもしれません。ネイラー自身すらあまり当てにしていないけど、そんなドライな感じがこの物語にはすごくぴったりなんですよね。

もうひとつ読みながら思い出したのは、JGバラードの「沈んだ世界」。と言っても「沈んだ世界」がいったいなんの話なのか語れる程読めてないですが。それと「華竜の宮」もかな。都市の「かたち」がそのまま水中に没している風景は、ただ単に遺棄されているものよりなにか惹かれるものがあります。水という大質量のものにかこまれてる圧倒的な感じ。それに都市という巨大な人工物がそのまま標本のように形骸化しているのってただただすごいと感じます。