Metal Gear Rising Revengeance

3週目クリア。 - ここでみてること

あらすじ

カーボンナノチューブなどの技術進化により、戦場にサイボーグが派兵される近未来。民間で戦闘行為や警備を請け負うPMSCsと呼ばれる企業が各国の軍事力を支え、企業や政治・経済界の要人を警護するようになっていた。そのPMSCsのひとつ、マヴェリック社の社員であり、全身をサイボーグ化した雷電はアフリカの地で要人警護の業務についていた。


さて。メタルギアシリーズの新作です。Risingの名前のとおりSolidとは違って、今回はMGSシリーズにおいても重要な役割で登場した雷電が主役です。そしてメタルギアと言いつつも小島監督の監督作品ではないんですね。(ファンにはおなじみの「A Hideo Kojima Game」ではないということ)「小島監督作品のメタルギアじゃなきゃメタルギアじゃない!」なんて少し思いましたが、ゲームをやってみてそうでもないんじゃないかな、と今は思っています。

それでは私は何をもって「メタルギア」だと考えているのか、そして今作はその定義にどれだけ近かったか、そのあたりをちょっと洗い出してみたいとおもいます。

ネタバレ







ゲームシステムにはあまりこだわりは、ないかな。メタルギアだからステルスアクションじゃなきゃいけないとは、あまり思わないですね。むしろこのシリーズは新しいゲームジャンルの元祖であってほしい、そのくらいの新規性を常にもっていてほしいし、今までやったことのないゲームがしたいですね。この点では今作はよく出来ていて、ゲームをやり始めてから恐ろしい勢いで展開するアクションや、映像の面白さにすっかり惹き込まれました。こんな映像みちゃったら生半可な映画じゃ満足できなくなるわ!ゲームプレイも切るという「手触り」をすごく大事にしていて、やっていく内にどんどん切り込みたくなっていく駆動力がとても良かったです。うおりゃー!ってなりましたねー。これまでは「絶対に敵に見つからない」スリルとそれを達成した時のカタルシスがこのシリーズの魅力でしたが、そこに原始的なゲームの面白さ、ガチャガチャやってなんか勝てた!みたいなシンプルな爽快感をよく設計してるんですよね。そういう頭からっぽにできるプレイも可能だし(ただ後半は敵も賢くなるのでばかみたいに斬りつけても勝てないですけどね)、一方ではおなじみのノーキルクリアもきちんとシリーズを受け継いでいるんですよね。今回、雷電は「活人剣」という最小限の殺人で大勢を活かす、という日本の武道をモットーにしているんですが、その部分ともリンクしたゲームシステムになっていて、いいなとおもいました。それとシリーズでおなじみのアイテム、段ボールも今回はなんと隠れた敵ごと叩っ切れるというすごいことになっています。そうきたか(笑)いつもは隠れてる方だけどまさか暴く方に回るなんてね。

ゲームシステムだけが良くてもそれがストーリーや背景の世界観に結びついていないと「メタルギア」らしいとは言えないんですよね。今作は、全身をサイボーグ化した人間や強力な無人機が戦場を支配する世界を背景に雷電個人の経歴を主軸として、「文化的遺伝子」や「非対称戦争」というテーマを表現している、とおもいます。ストーリーに関しては後述するとして、背景は「高度なサイボーグ技術が発達していてAIによる無人機が戦場を跋扈する」という世界です。この辺りは「サイボーグが超人的なアクションをする」というゲームシステムのために導入されたものですが、この設定自体はとてもよく調査されていると感じました。今作も、ミッション中の無線で登場人物たちとおしゃべりができるのですが(この点もシリーズではおなじみですね)、特にサイボーグ技術専門家のドクトルが語る蘊蓄はとても豊富で一見、破綻はないようにおもえます。ただフィクションという嘘とリアルな実現性との境界はそれぞれで異なるので「こんなの有り得ない!」というのもまた頷けます。ただそのフィクションがどういう精度であれ、あまりゲーム性に貢献してないところが気になりました。まあ無線はゲーム中で任意なのでまだすべて聞いてない部分もあるんですが、無線の内容とゲーム内容とがかけ離れてしまっている印象があります。例えば現地情報を教えてくれるケヴィンやコートニーとの会話と、目の前にある街並があまり一致しない。なにか「ああ、これか!」という感動がないんですよね。ボリスの武器や業務についての会話も、SFですらこんなにつっこんだ「戦争のお金の話」は読んだことがなくてとても面白かったのですが、それが戦闘時にどういう差として現れてくるのか、対費用効果の視覚的なものが分からなかった部分は残念ですね。でも、雷電と仲間たちの会話は本当に面白くて、ミッションに関わる大事な話の他に、他愛ないおしゃべりに垣間見えるそれぞれのキャラクター性はとても際立っていて楽しめました。雷電はなんだかスネークさんに似て来たなあ。

ストーリーについては、軸になる「文化的遺伝子」と「非対称戦争」の二つを軸に考察してみたいとおもいます。まずは「非対称戦争」から。この言葉、なにか具体性がなくてよく分からない、そんな気がしません?ストーリーでは、雷電ストリートチルドレンという、世界から見放されて生きて行く子供たちを救おうと奔走します。それは彼自身もまた、かつて世界から見放され、そう生きるしかない世界に押し込められていたから。でも一方でその世界には、ケヴィンやコートニーのようにごくごく普通に暮らしている人たちも存在します。この世界は公平じゃない、どうしようもなく不公平です。でも、不公平という言葉だと有利な側の人間に責任があるような、なんとか意識的に公平に戻せる余地があるような印象ですが、そこに非対称という言葉を持ち込むと、人の手ではどうにもならない、世界がそうあるのだからどうしようもない、という印象に変わり、責任を人間から世界へと丸投げしているような、そういう感じがするんですよね。そしてこういう言葉による印象操作、言葉をすり替えることでそこにある具体性を削ぎ手軽に事実を扱えるようにするという行為は、現実ではもうおなじみですよね。非対称戦争、それは雷電にとっては、世の中の不公平そのものなんでしょう。そしてその不公平に対して武力ではなく政治の力で抗したンマニ首相を尊敬していたのもとても納得できます。雷電は政治力ではなく武力でその不公平に切り込んで行くのですが、それでも彼が救えるのはほんの一握りの人間に過ぎません。不公平を正そうとすればするほど、それが新たな不公平を生み出すことになる。不公平の連鎖の終わりのない戦いに、雷電は進んで身を投じているんですよね。でもその戦いを非対称と言ってしまうと、もうどうしようもない、傍観しているくらいしかできない、ということになってしまいます。そしてこれは世の中の空気を現しているんですよね。「何千、何万もいるストリートチルドレンをすべて救うことはできない」確かにそのとおりでしょう。でもそれを世界のせいにしてはいけない。そうあるべきだからどうしようもないと、切り捨ててはいけない。それは非対称じゃない、ただの不公平だ。斜に構えるのでもなくそこに真っ直ぐに迷いなく切り込んで行く雷電は本当にかっこいいですよね。

「文化的遺伝子」について。これは生物学的な遺伝子という概念を文化や思想、社会などの無形のものに応用した概念ですね。思想も文化も、人間の意識が生み出すものは遺伝子を残し、他の異なる遺伝子と交ざり合うことで新たな形態を獲得する、というものです。今作では雷電の個人の来歴と重ね合わせて、このミームの何が取捨選択されるか、という部分を描いているとおもいます。このミーム、文学や音楽のように高度な文化的因子もあれば、民族紛争のように人間の根源的な感情に根ざした因子もあります。基本的に人間の脳から発生するものですからね。そして今回は、「怒り」という因子が主に描かれていると思いました。雷電は少年兵として子供時代を送り、成長してからはその少年兵だった時のトラウマから逃げ続けてきました。彼が少年兵になったのは、すすんでそうしたのではなくそうならざるを得なかったから。そして図らずも優秀な殺し屋となってしまった。雷電の本名であるジャックは、雷電の冷酷で無慈悲な殺人者としての一面です。その殺人者としてのジャックを雷電は心に抱えて生きてきました。ジャックという自分と向かい合うことができないまま。雷電はずっと怒れなかったんだとおもうんですね。少年兵になったのは自分のせいじゃない、でも誰を責めて良いのか分からない。当時の関係者はもういないし、「ジャック」を見出したソリダスも、既に雷電自身の手で故人となっている。でもジャックは死んでいない。ジャックは雷電自身の暗い過去の象徴でもあるけれど、類い希な戦闘能力を持つ人格でもあるんですね。それを今の雷電から切り離すことはもうできないのでしょう。そしてその人格が入れ替わるきっかけが、怒るということだったのではないかなとおもいます。怒るというかキレるというか。少年兵になんかなりたくなかった、という根源的な怒り。そしてそれが少年兵時代がなければ決して目覚めることのなかったジャックを呼び覚ますというのは、すごい皮肉ですよね。でもそうやって雷電はジャックを切り捨てるのではなく、自分自身として受け入れたんじゃないかなとおもいます。今作ではそういう雷電の成長した一面が見られて良かったなと思うと共に、奥さんも息子もいる一人のお父さんとしてどう折り合いをつけるのか、ちょっとこれからも心配しちゃいますね。でもその頼りなさというか、脆さのようなものが雷電の魅力でもあるなあとおもいます。

この雷電個人の「怒り」に対応するのはもっと大局的なものです。ちょっとその前にこの作品では実際に起きた事件を盛り込んでいて、911ウォール街の占拠事件なんかが言及されているのですが、911に関してはちょっと違和感がありました。一応シリーズの中では、マンハッタンにアーセナルギアという巨大な戦艦が突っ込むという事件があって、この事件が描かれたMGS2がちょうど現実の911の時期と重なっていたので、勝手にシリーズ中におけるこのアーセナルギア事件は911の代わりだと思っていたんですよね。だってそうなるとアメリカの最も繁栄している地域が二度も甚大な被害を受けてることになるし、そうなるとフィクションの中での911は意味が変わってしまうんじゃないかなとおもいます。確かにこのシリーズはリアルな世界観が醍醐味でもあるし大好きなんですけど、リアリティがあることと、現実のものをそのまま取り込むのとではちょっと違うのでは?とおもいました。
ただ、911を大局的な「怒り」の発端とするところは分かりますね。それをウォール街占拠事件と結びつけるのも同じ理由からでしょう。大局的な「怒り」を利用して政治を行う、今回の首謀者そしてラスボスであるアームストロングの理念はそこにあります。人間は非対称な世界には無関心だけど、簡単に怒りを注ぎ込める対象には熱心になれるんですよね。怒ることはとても大事です。でもきちんと怒ることは、怒っていることを主張し世界に認めさせる、そういう怒り方はとても難しい。そして私を含めて多くの人が目の前にある簡単に怒れる対象にしか怒らない。怒りも感情が動くという点では娯楽的な一面もありますからね。怒ってる時ってちょっと楽しいですよね。でもそうじゃなくて、本当に怒るべき対象は何かを立ち止まってよく考えないといけないはずなんですよ。それを「怒り」という速度のある感情で考えるのはとても難しいけれど。そしてその怒りは連鎖します。報復の連鎖は終わることがありません。この世界は無関心と憎悪の二重螺旋の連鎖によって構成されているけれど、それを断ち斬るヒーロー、それが雷電なのでは、とおもいますね。

ただその大局的な怒りを体現するアームストロング自身のキャラクター性があまりストーリーに絡んで来ないのが残念でした。彼は「勝者」であり「強者」なのですが、その武器が素手ってちょっとどうだろう。怒りを表現するものとして拳は象徴的ですが、あまりゲームと馴染んでいない感じがしました。クレイトロニクスという技術も面白いなとは思いましたが(ゴーレムみたい!)、だからってなんで地面から火が吹くのかよく分からないです。SFはべつにリアルな技術の精度を気にする必要はないと考えていますが、だからこそフィクションでの味付けや補強は必要だとおもいますね。

総論として、今作は完璧とは言えないまでもシリーズとしてはとても良い作品でした。さすがに二次創作のようなものになっていたらちょっとどうかなーと考えていたのですが、そういうこともなく堂々としたシリーズ最新作だったとおもいます。面白かった!小島監督メタルギアのいろいろ良いところを積極的に模倣しながら、新しいゲーム性があり、キャラクターの個性を損なわず新たなエピソードが積み重なって行くのはとても楽しかったです。今後も期待したいシリーズになりました。

今作は怒りだったので、次回作は恐怖、かな(笑)ホラーは苦手だけどゾンビくらいならなんとか遊べるとおもいます。