SFを楽しみたい人へ(2)

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前回までは、「物語が分かりやすいもの」、「映像化されるなど読解の手がかりがあるもの」という分け方でSF小説を紹介しました。あ、ちなみに紹介した作品は一度は読んでいるものの中から選んでます。あと小説誌のみ掲載とか手に入りにくいものも避けました。読んでいない作品がとても多いので選択の範囲が狭いです。すいません。
さて、後編はいよいよハードで!難解な!作品の紹介です。はっきり言って読んだ内容を正確に理解しているかどうかまったく自信ががありません(笑)


その3:背景の読み解きが必要なもの
ここからちょっと難しくなってきます。フィクションの成分とサイエンス(スペキュラレイティヴ)の成分が半々または後者の方が多めでなおかつ、短編などの都合で作品中での説明がほとんどないものです。こういう作品を読む時は題材が何か(数学を扱っているのか量子論なのかなど)をあらかじめ調べたり巻末の解説を読んでおくといいと思います。解説はけっこういろいろ書いていてくれるので助けになります。というか助けてください。それか、分からないものはそういうものだと割り切って読んでしまうのも手ですね(どっちかというと私はこっちですが)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

この表題作は、出来事が前後したり遠い未来をあたかも今見ているような描写に戸惑うのではないでしょうか。小説の作法が破綻してる、物事はきちんと順序立てて述べられるべき、という発想からちょっとだけ自由になってみてください。この物語のキーになるのは言葉、言語です。人類が初めて出会ったエイリアンは、奇怪な言語を持っていました。登場人物の言語学者はこのエイリアンと直接交流しながら、その言語体系を探って行きます。言語ってよくよく考えるとすごく不思議なんですよね。だってここに書かれているのはただの線の集まりですよ?例えば、私はアラビア語には馴染みがありませんがあのつらーっと流れるような線と、時々インクをこぼしたような点の集まりが文字だとは考えられません。しかもあれ、右から読むんですよね。ますます分からない。そういう線の集合が意味を結ぶ場所が意識です。この点については円城塔さんの「Boy's Surface」の表題作も掘り下げています(たぶんね)さて言語が機能するのは意識です。ここでエイリアンの言語を学ぶということは、意識にエイリアンの持つ同じ構造をインストールする、ということになります。ここまで来たら、冒頭の出来事が前後する奇妙な現象を読み解くまであとちょっとです。エイリアンはなかなかに知的であることが明らかにされています。どうやらエイリアンは現在の数学基盤とは別の基盤を発展させたようです。それが極大と極小を同時に記述することが可能な「変分原理」というものです。えーと私には学術的な解説はちょっと無理なんですが、物事を段階的に捉えるのは私たちの世界では当たり前ですよね。出来事は始まりから終わりまで順につながっている。でも極大と極小が同時に存在するエイリアンの世界は、始まりと終わりが同時に存在しています。いやーこれよく線形的な小説にできたね。そう、言語学者はエイリアンの言語を獲得することによって、始まりと終わりを同時に"意識"することができるようになったんですね。それが全編に現れる、前後関係を無視した文節です。あー私が書くととても残念な感じになってしまいますが、この短編はそれをある程度のツッコミには耐えられるくらいの強度で描き切っている作品です。
こんなふうに言語とは何か、変分原理(フェルマーの原理)とは、などなどバックグラウンドの理解が先にあると理解しやすいです。そんなにきっちり分かっていなくても、なんとなくこんな感じかな、くらいでも大丈夫かな。ちなみに表題作は割と丁寧に作中で説明しているので、読みやすい方だと思います。


プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)

プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)

先にちょっと基盤の異なる数学の話が出たので、この短編集の中から「暗黒整数」を取り上げてみます。この物語に登場する<あちら側>、というのはもうひとつの数学、物理学によって成り立っている<こちら側>とは独立した世界です。数学や物理、量子力学は作者のグレッグ・イーガンがよく使う題材ですね。数学というとただ一つの解(あるいは解けないという証明)があって人間の主観や感覚には依存しない絶対のものなので、それがもう一つある、というのはそんなわけないでしょと言われそうな、ちょっと変な話ですよね。量子力学というと決まって「シュレディンガーの猫」という例えが出てきます。半分の確率で毒ガスが吹き出る箱に閉じ込められた猫は、箱が開くまで生きているか死んでいるか分からない。箱を開けた瞬間に猫の生死状態が決定する、というものです。これは電子の動きが観測されるまで決定しないという、ミクロな世界の話を揶揄するために持ち出されたものだそうですが、ここで重要なのは「猫かわいそう」ではなくw観測される電子の状態はその都度違うということです。(ちなみにこの電子の状態が一瞬で決まる、という性質を発展させたのが今ちょっと話題になってる量子テレポーテーションでこれを使ったのが量子コンピュータですね。)でもほんのわずかな電子の状態が異なっていても、それほどモノの状態が変化するわけじゃないんですよね。電子のパターンは同類にまとめることができる、ということみたいです。数学が定義する1という状態は実は細かく見て行くとある一定の電子の状態の範囲を1と定めている、ということ。これが整数の1です。さてさて。では暗黒整数というのはこの範囲の外にある整数です。これを作中では物質に対する反物質ダークマター)に倣って、暗黒整数と名付けました。おお無闇にかっこいい…!もうひとつの数学というのはこの暗黒整数を基盤とした数学のこと。いやいや普通の数学でもよくわからないのにw でもこの整数を基盤とする<こちら側>と暗黒整数を基盤とする<あちら側>は同じ一つのモノを違う角度から見ているだけのことなんですね。同じ写真をネガとポジで見ているような感じ。でも現在、リアルに量子コンピュータなんてものが実現されつつあることを考えれば、その境界は実はとても曖昧です。短編の中でもコンピュータ内で暗黒整数を操作するプログラム(dark型は4096bitだそうです。扱ってみたい)が登場していますが、もうすぐこれは現実になりそうだなと思います。でも逆に<あちら側>もまた、整数を操作することができるということです。ということは1+1=2の前提の1が崩れるということ。やばい!小学生の頃に1つと1つを混ぜ合わせたら大きな1になるんじゃって想像したことあるけど(おばかさんでしたw)それが現実になったら大変ですよ。世界の法則が乱れるなんてものじゃないです。この短編はその危機に立ち向かう数学の騎士たち、あるいは数学スパイ(スパイするのは<あちら>側)の物語です。ちょっと長いけどイーガンの作品の中でも説明が丁寧な印象なので少しは読みやすいと思います。


テッド・チャングレッグ・イーガンという難易度の高い作品でしたが、がんばって解説してみました。がんばったよ…!この後さらに難しい「その4」を予定しています。まだ続くのです…。さあラスボスは挫折者続出のあの作品ですよー。