Cinematrix 伊藤計劃映画時評集2


時評集1の感想を書いた時はあまり映画や批評に触れていなくて、この批評を書いた伊藤さん自身に着目しました。今回は逃げずに(笑)ちゃんと内容に言及しようと思います。ちなみにほとんど観ていないか観てても忘れている作品が多いのであくまで伊藤さんの視点から観た映画についての感想になります。本当はちゃんと観て自分なりに比較できたらいいんだけど。選んだ基準は「こういう見方は私にはまずできない」という視点のものにしました。勉強になるなあ。

映画は「泣ける」「深い人間ドラマ」「教養のあるテーマ」というものをそもそも保証するものじゃない、という視点。それをキャスティングから見抜く、というのもすごい。あ、ちなみにケヴィン・ベーコンは私けっこう好きです。ヒーローも悪役もできる器用な役者だなって思ってます。かっこいいしね。確かに映画は、何が描かれているかということを映し出しはするけれど、その意味付けをするのは観客に任せられているものです。(というかメディアと呼ばれるものはそういうものですが)こういう腹黒いタイプの映画に遭遇すると、人のいい感想ばっかり書いてちゃ駄目だな、もっとダークサイドにも目を向けたいなと思いますね。まあそれと、ネガティブな感想を書く技術というのはまた別のものですが。

  • 回路

ホラー映画から青春映画の要素を引っ張りだす視点。ホラーはまったく駄目でこの映画もたぶん観ることはないんですが、こうやって視点を借りることは可能なので助かります。ホラー映画の何が嫌かって説明がつかないのに妙な説得力があるところなんですよね。解んないけど分かる。幽霊というものがなんなのか解んないのに何か言い残したことあったから出てくるって、それ分かるんだけど普通に書式を作って役所かどっかに届け出て頂きたい。(こわがり)ホラー映画とはそういう変に説得力のある不条理で恐怖を煽り立てる形式だと思います。そしてこの映画は、ホラーの形式で若者が迷ったり悩んだりしながら決断をするという青春ものの過程を語る、ということ。そっか、形式と語りは別のものとして観ることもできるんですね。すごく高度な見方だけど。

映画を観てる時ってやっぱり「お話」って大事ですよね。観終わったあと「はあ?」ってなる映画に満足するのはちょっと難しい。ちょっと見方を変えて、好きな役者さんやアーティストが出てたり監督の名前で観たりするのもよくあることですが、感想を書いていて何が一番かというとやっぱり「お話」なんですよね。ですが、前掲しましたが映画は別に何かを語ることを保証しません。ただ商業的に分かり易い「お話」がないとヒットしないっていうだけです。そういう視点で映画を観ると、確かに映画とは「ただそこにあるものを映している動画」です。まあ最近はそこにないものもいろいろ仮想的に映ってますけども。そしてこの映画は、そこに映っているモノの映画だということです。私は現代美術とか音楽もそんなに詳しくないので、画面をモノで埋め尽くす、そのモノの歴史、経緯を知らずにそういう動画から映画としてのなにか、お話を読み取るのは極めて難しいだろうな、と思います。さらに「お話」が主体ではないのだとしたら、どこを観たら良いのかちょっと分かりません。ただどんなに普遍的なことでも濃密に、こと細かに描かれたらそれは一つのフィクションになり得る、ということもあるので、その物量から成る異質な画面を観るしかなさそうです。

ちょうど実写映画化の話も出てましたね。しかし私はあまりパトレイバー知らないな。曖昧な印象の映画から感想を見いだす視点。鮮烈な印象を残すシーンがあったわけでもない、耳に残る音楽や台詞があったわけでもない、そういう映画があります。ヒット作ばっかり観ているのであんまりそういう地味な映画に出会うこともそれほどありませんが。でも「何を書いたら良いんだろう」と悩む映画はけっこうあります。物語はちゃんとそれなりの結末を描いているし、役者さん(声優さん)の演技も申し分ないし、音楽も良かった。すべてのバランスが良すぎて突出した印象が持ちにくい、そういう映画。そう「良かった」としか言えない映画です。あるなあそういうの…。でもそれじゃ何にも分からないし、ログとして残るものがなにもないですよね。でも何かあったはず、映画全体を覚えておくことはできないけど(何かで読んだけど普通の人が映像として覚えておけるのは15分くらいだそうですが)、観ている間に心が動いたところを記録しておくくらいはできそうです。こんなにきれいにまとめられるか、というのはまた別のお話(笑)

  • マイノリティ・レポート

あらすじ(Plot Summary)の書き方が無駄がなくすっきりしていてすごく読みやすいです。この犯罪予防局の説明とこの組織の矛盾を説明するのって言葉にしようとすると難しいんですよね。すごい。映画の背景って観てますか?私は役者さんや動くものにばっかり注目してちゃんと観てないことが多いです。たまに動くもののない、静かなシーンで改めて見渡してみるという程度。でも背景にけっこう重要なものが配置されてることってけっこうあると思います。二回目とかならまだ気がつくけど、一回目から拾うのは無理だなあ。背景に何かが「ある」と気づくことも難しいのに、それが「ない」ということに意味を見いだす視点。映画は画面に映るモノで意味を伝えるメディアですが、なぜ必要なモノが映らないのかという疑問から発する意味の紡ぎ方もある、ということです。うーん、奥が深いなあ。

原作も読んでいなければ映画も観ていませんが有名な映画ですよね。映画を読み解くために基礎を固めておくこと。原作があるなら読み通しておく、という単純なことすら私はしないことの方が多いです。読み通したものも含めた膨大な量を噛み砕いて自分のものにする「消化能力」がすごく高いんですよね。だって原作、すごく長いんじゃなかったかな。すごいなあ。読み通すだけではなくそれを血肉にするのはけっこう大変です。でもそういう基礎体力がこういういろいろな視点の源になっているんでしょうね。

伊藤計劃さんがお友達とハラハラしたというお話。途中からフィクションめいてくる部分が、この映画のフィクションでありながら雑にリアルにはみ出してくるそら恐ろしい感覚と同調して、まるで「アイズ・ワイド・シャット」の奇妙な夢を"見てしまった"ような感覚になりました。



こうやって見てみるとすごく多彩な視点であるにも関わらず、どれも彼自身の持ち味というかパターンがはっきりしているんですね。こうやって視点を借りて映画の優れたところ、おいしいところを観るのは楽しいですね。まあそればっかりやってると駄目なんだろうけど、たまにはいいんじゃないかなと思います。


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