天冥の標7 新世界ハーブC


太陽系に拡散した多種多様な人類が遭遇する運命。しかしそれは人類の知性を遥かに凌駕するいくつかの知性体たちの因縁でもあった。そんな超知性体たちに翻弄される人類の未来は。



さて。前回「天冥の標6 宿怨」では、イサリという少女とアイネイアという少年の爽やかで切ない出会いから始まり、人類の宇宙開拓時代の夜明けという明るい未来を感じさせながらもその裏でどろどろとした因縁(なにしろサブタイトルが「宿怨」ですからねw)を描いて、ものすごくもやもやさせられた物語でしたがここに来てその不穏な空気が一気に燃え上がりました。思わず徹夜してしまうくらい、もう読むことを止められなかった。なんか前回も同じこと書いたような気もするけど巻数を重ねるごとに勢いを更新していくような、本当に今、最高に面白いシリーズですね。



この巻は天冥5あたりから徐々に明らかになってきた、「『生き延びる』ことと『生きる』ということ」の衝突を描いていると思います。人間は地球においてでもサバイバルするには弱い種族ですが、宇宙ならなおさらそう簡単にいきません。この物語ではそんな宇宙空間でサバイバルする5万人の人類を描きます。しかもそんな中でさらに敵対する同じ人類に狙われるという、このジリ貧ぐあいがもうどうしようもなく緊迫感を高めるんですよね。こういう「サバイバルゲーム」ものは多数ありますがその醍醐味はいかにその環境に適応するかだと思います。この物語はそういう面白さもちろん含まれますが、もう一つの「生きること」との対比がこの地獄をより一層過酷なものに仕立てているんですね。
生き残った少年少女たちはボーイスカウトの子供たちでした。彼ら彼女らはスカウトのサバイバル技術を駆使してなんとか生き延びようとします。そのボーイスカウトには一つの教えがあります。
『善と理と公に仕え、人を助けて賢く生き抜くこと』
ただ生き抜くだけならば、最悪人のものを奪ってでも生き抜くことができるでしょう。自然淘汰的に弱者は消えて行き、強者だけが生き残る動物のような世界ではありますが。でも人間はそういう生き物ではないですよね。人間がサルでないために、人間として生きるために「善と理と公」が必要です。種としてのヒトとして生き伸び、人として生きる文明を守ること。この二つを宇宙の片隅の小さな狭い場所から両立させなければならない。それを担うのは老練な大人ではなく、まだ20歳にも満たない経験も知恵もほとんどないと言っていい少年少女たちです。
この物語がいかに過酷な状況なのか、そしてその中を生き延びるために彼らが犠牲にしたもの、その犠牲の上に獲得したものを思うともうため息しか出ません。


このシリーズの創世記とも呼べるこの物語では、生き延びるために犠牲にしたものが後年まで秘匿されています。シリーズ1巻の「メニー・メニー・シープ」は時系列的にこの後のストーリーのようですが、この巻で起きた悲劇が伝わっていないようです。今後のシリーズではその真実を解き明かすことになるのかな。その時人類はまた悩んだり争ったり、そしてほんの少し隣人のことを理解したりできるのでしょうか。絶望と失意にまみれたストーリーだったのになぜか最後にはほのかな希望が見えたような気がしました。




こういう過酷な背景のストーリーだったので登場人物がみんな可哀想で仕方なかったです。みんなよくがんばったよ…。そんな中でもメララとジョージの二人がほっこりしていて好きでした。メララの方言がなまらめんこいさ。それとアイネイアがどんどん変化して行く過程が面白かったですね。最初は金持ちの出来のいい子息って感じでこれが1巻のちょっとのんびりした風情のカドムの祖先かと思ったけど、最後はつながったように思いました。セアキ一族はこのあとどうなっちゃうのかなあ。続きが楽しみでしょうがないです。