膚の下

膚の下(上)

膚の下(上)

膚の下(下)

膚の下(下)


あらすじ
月を壊滅させるほどの戦争を経験した人類は、徹底的に破壊された地球環境を復興させるため火星に移住し250年の冷凍睡眠の後、戻ってくる計画を立てた。その計画の一環として人類が不在の地球をメンテナンスする知性を持つ機械群と人類の代わりとなる人造人間アートルーパーを創り出す。アートルーパーとして生み出された慧慈(けいじ)は、人類の代替品として教育される。そんな訓練の最中、慧慈は人類移住計画に反する残留人組織と遭遇、戦闘状態になる。上官を喪い、自らもまた負傷した慧慈は事件以来、残留人や人類などの人間側の思惑に翻弄され、また知性を持つ機械人と接触して、人間でも機械でもない、アートルーパーとしての生き方を模索しはじめる。

創造と想像についての物語


この物語は創造について、創造に伴う様々なものについてを描いています。そもそも慧慈という存在は創造された側の存在です。それを生み出したのは人間です。人間が何かを生み出す一番シンプルな動機は「必要に迫られて」でしょう。アートルーパーもまた、人類が不在の地球を留守番させる必要があって創られました。
そんな人造人間の慧慈はしかし、人間になりたい、人間と同じく扱われたい、とは望みません。この物語はそもそも、これまで語られて来たような人間の模造品の悲哀は扱いません。慧慈は最初から自分はアートルーパーとしてしか存在できない、人間とは異なる存在だと認識しています。この認識を育てたのが教育担当官の間明(マギラ)少佐でした。
そこで慧慈は考えます。人間でもなく、機械でもない自分がアートルーパーとしてどのように生きて行けば幸せなのか、と。人間は人間としてしか存在できません。いくら神というものを想像しても、神にはなれないし、人間は人間としての幸福を探していくしかない。アートルーパーもその点については同じです。
けれど彼らは人間のように感情や気まぐれといったものと無縁です。兵士として創られた人間は成長過程を持たず(外見は成人男性で5歳)、生まれてからすぐに大人として扱われています。無垢な心を持ったまま、兵士のような冷静な判断ができる存在は、人間の大人のように嫉妬にかられたり、足の引っ張り合いのようなことはしないんですね。人間の理性を凝縮したような明晰な頭脳と、子どものように純粋な心を持つアートルーパーは、不完全な人間では完遂できないこともやり遂げます。
人間はそんな完璧に近い存在を生み出しておいて、そのすごさに想像が及びません。いつまでも人間どうしの内輪もめで消耗し、既に自分たちを凌駕しているアートルーパーを見下して、管理下に置こうとします。人間はそんな存在を創造することができるけれど、その存在を想像することができません。これは機械に翻弄されている現実にも言えるんじゃないかと思います。人間はコンピュータを生み出したけれど、コンピュータのその行く先を正しく想像できている人間はどのくらいいるか、ということです。人間は創造したものの未来を想像することができない。
しかしアートルーパーは違うんですね。彼らは創造したものの未来を想像し、それを規定します。創造したものに対して、責任を負うことを選択して、その想像のとおりに被創造物の運命を決定します。まるで神のように。
この物語は神になったアートルーパーと神になれない人間との対比をすることで、人間に不足しているものを描いているように思うんですね。それは想像を実現する力があるかどうか、ということ。技能(アート)という点では人間には大きな創造力があると思うし、この物語もそれを否定しません。でも人間には神のような想像力はないんですね。それができるのは、人工に創られた人間、アートルーパーだけです。


では、人間は創造物である人造人間に劣り、機械人にも見下されるだけの存在なのかというと、そうではないはずです。人間には自分たちの未来を想像する力がある。作品中に繰り返し登場する、「幸運を祈る」という言葉はその者の未来が善いものであるよう想像することでもあると思います。しかし生殖機能を持たないアートルーパーには自分たちの未来を想像することはできません。子孫に遺伝子を伝えることは不可能です。この想像という意味において、アートルーパーは人間の想像力の一つの方向性へと純化した存在なのかもしれません。想像なくて、創造はできません。人間は将来を想像し、様々なものを未来へと伝えることができます。それが物語を語るということ。慧慈は偶然出会った人間の少女実加に文字を教えます。彼女はそれまで文字を知らず、未来を想像して何かを残すということを知らなかった人間です。そんな実加に慧慈は未来への想像力を与え、実加は未来を持たないアートルーパーに未来へ何かを残すきっかけを与えます。慧慈が記す日記はそのまま、遠い将来火星から戻って来た実加へと宛てた長い手紙です。遺伝子を残すことができない慧慈は、人間の物語るという想像力によって遠い未来を生きることができるようになるんですね。



モノを創造/想像する力と、未来を創造/想像する力。その二つの対比が織り込まれている作品でした。陳腐な言葉しか出てこないけど、こんなすごい作品はそうは出会えない、冒頭からそんなふうに思いながら読みました。なにか自分の中がアップデートされるような気分になる、そういう作品はなかなかないですね。

雑感


長い物語のわりにはすんなりと読めました。Kindleだったからボリュームが掴みにくいんだけど、紙の本はかなり分厚いと思う。文体の好みもあるけど、上巻はほとんど一気に読んでしまったくらい没頭しましたね。今私の中で一番、かっこいい文章を書く作家です。ほんと惚れる。逆に下巻まで来ると今度は読み進めるのがもったいなくて、少しずつ読みました。そのくらい自分の中で「これは!」と思った作品なんですよね。メモもずいぶん引いたし。一部抜き出しておきます。

こういう願いを一つひとつ叶えていくこと、叶えられるということ、それが生きているということなのだな、と。生きていくというのは、ほんの些細な願いの積み重ねで成り立ってるものなのだ……
膚の下(上)

生きること、創造することを大上段に構えて考えていてはちょっと踏み出せないけど、こうやってちょっとした願いや望みを実現していくことで、創造の過程を一つずつ進めていく、というのはすごくいいなと思いました。
それで、私は何を創造するのか。うーん、私は「私の人生」という誰もやったことのないものを想像し、創造していくことになると思います。少しずつ、小さな望みを叶えながら。