ギブスンの視覚、SFのためにお洒落を切り捨てるっていうこと


今年は「ニューロマンサー」をはじめとするサイバーパンクSF30年の年だそうで、サイバーパンクSF傑作選が発売になりました。

これ、今度公開する映画の企画ものの一つらしいんですけどね。(映画の方は全然チェックしてませんが)そもそもサイバーパンクってなんだって人は、分かり易くいうと映画「マトリックス」みたいな感じです。コンピュータテクノロジーやサイボーグをメインに扱うSFってこと。
その代表格とも言うべき作家が、ウィリアム・ギブスンブルース・スターリングです。残念なことにギブスンもスターリングも過去の作品はほとんど絶版になっているらしくて、私もスターリングはあんまり読んでないので、SF力がついた(笑)今こそ読みたいなあと思っているのですが。ハヤカワさんは電子書籍などで出しませんかねえ。


で、今その冒頭を飾るギブスンの「クローム襲撃」を読み始めたところなんですが、やっぱりこれ面白いんですよね。この短編は、ギブスンの同名の短編集の表題作でもあり、彼の初期の作品のエッセンスがぎゅーっと詰まった傑作です。前に読んだ時はその異様な電脳空間の描写にちょっとついていけないところもあったんですが、今回読んでみて気がついたのがギブスンの視覚についてなんですよね。
ちょっとこの「クローム襲撃」の世界観を説明すると、ネットワーク化・コンピュータ化が進んだ社会で、企業や組織は電脳空間(サイバースペース)に自社のマトリックスプライベートクラウド的な空間?)を構築しています。ここまではたぶん普通に想像するインターネットと同じですが、その電脳空間はアイコンやアバターで満たされ、マトリックスには壁があり、まるで城のように描かれています。映画の「マトリックス」ほど現実の完全なコピーというわけでもなく、シンボルによって構築されている世界なんですね。テキストというものが出てこない。抽象化された視覚情報で埋め尽くされた世界です。
ギブスンは抽象化された世界を視覚的に捉えるセンスでもって、この作品や続くスプロール三部作を書いたんだと思うんですよね。で、視覚を使うセンスって、ファッションとかなんとなくお洒落な方向に行きそうじゃないですか。アイコンだってちゃんとしたデザイナーのものはかっこいいしね。それがいかない(笑)いかないんだよねー。「パターン・レコグニション」のようにギブスンはちゃんとお洒落が描ける作家だと思うんですよ。聞いたところによると、昔は奥さんのファッション雑誌を読んでたらしいし。(たぶん作品の糧にするため)視覚的に世界を視ることができるっていうことと、お洒落であることが完全に分離しているんですよね。それはお洒落にとり澄ましていては、その世界の本質を描くことができないから。なのかもしれません。ださいってことは彼自身のSFを描こうとするための手段に思えてきて、やっぱりこの人すごいなーと改めて思った次第です。だからか、ギブスンの作品って「ださい、けどかっこいい!」んですよねー。


それともう一つ。視覚的に世界を視るという点でサイバーパンクではないけど、飛浩隆さんの「象られた力」という作品があります。シンボルが力を持っている、ということを、アイコンに象徴されるデータに重要な意味がある、という風に考えるとギブスンの作品に似た部分があるんじゃないかなと思うんですよね。そしてこっちはださくない(笑)お洒落とも違うけど、同じようなセンスを持っていながらこうもベクトルが違うものなんだなあと思わずにはいられません。おすすめです。


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