リリエンタールの末裔

リリエンタールの末裔

リリエンタールの末裔


海底の上昇によって自然環境が激変した未来に生きる様々な生物を描いた「華竜の宮」と同じ世界観の表題作を含む、人と科学の関わりを描いたSF短編集です。
どの作品もはっとさせられたり、見事な構成にぐっと心をつかまれたり粒ぞろいですごく面白かったです。いやーほんとねえ、日本にはこんなにすごいSF書ける作家さんがいるんだよ。

リリエンタールの末裔

激変した自然環境に適応するため遺伝子を書き換えた人類。そのために変わってしまった外見による差別や社会格差を乗り越えて、人類が諦めてしまった「飛ぶこと」を目指す少年の物語。

読みながらずっと「翼をください」という曲が頭の中に流れてました。ちなみにタイトルのリリエンタールは造語ではなくて実在の人物だそうです。知らなかった。航空史に名を残した「飛ぶこと」を諦めなかった人間。この物語の芯にはそういう飛ぶことへの、どうしようもない憧れというか情熱があるんですよね。この物語の主人公チャムは身体的に飛行する適正は備えているものの、社会的に低い身分のために高級なグライダーを手に入れることができません。それでもチャムは少しずつ自分ができる努力を重ねながら、その夢に近づいていきます。これね、「幻のクロノメーター」という作品でもそうなんだけど、別にブラックな働き方を推奨しているわけではなくて(笑)、やりたい事を自分ができることから少しずつ叶えていく、そしてどんな境遇でもそこにある科学技術だけは平等だということを描いているんだと思うんですよ。チャムはとても貧しい少年だったけれど、彼を空に運ぶ技術は貴賎を問わない。そういう輝きを放ちながらも、チャムが暮らしている社会は差別が激化し彼自身も生命の危険に晒されます。空ばかり飛んでいるわけにはいかないチャムは、その闇とも戦わなければならない。そういう空への憧れと言う光の面と、地上での差別との戦いという闇の一面の均衡がすばらしい作品でした。

マグネフィオ

損傷した脳の神経系を人工的に補うという技術によって、人間は幸せになれるかを問う作品。
グレッグ・イーガンの「幸せの理由」やテッド・チャンの「顔の美醜についてードキュメンタリー」のエッセンスを感じさせながら、切ない男女の恋愛が描かれています。いやーこういうのねえ、すごく好き。片思いの男性がその思いに身を焦がす姿がたまらなく好きなんだよ!(笑)まあそれはどうでもいいんだけど、脳というおそらく人間の最後の聖域がコントロール可能になったら、愛情や死というものの意味も変わってくるのだろうな、と思うんですよね。大切な人に触れた感覚をいつまでも鮮明に覚えておける、というのは…どうなんだろう。それは幸せなんだろうか。そこにはまた人間が答えを出しきれていない、死と向かい合うことや愛情とはなにかと言ったものに対して、さらに答えなければならないようが気がします。
それにしても…いい話だった。

ナイト・ブルーの記録

海洋探査機と神経系を接続した男の物語。
サイバーパンクというと、ものすごく簡単にボディを乗り換えたり身体を拡張したりしているようなところがありますが、それをもう少しリアルに描いた作品です。
人と機械が接続されるとしたら、それはなにを意味するのか。漫画「攻殻機動隊」では記憶の外部化によって人は予想もしない知伝子(ミーム)を放出してしまう、と外部に向けた視点の作品でしたが、この作品は記憶はストレージを入れ替えるようには移行できない、としながらも機械と密にリンクしたとき、その人間固有の新しい生命となるのではないかと問いかけます。これは神林長平さんの「戦闘妖精雪風」と近いものがありますね。そうするとサイボーグが一般的になった未来でもそんなに頻繁に携帯電話のように「乗り換え」というものは発生しにくいのかもしれないですね。たぶんボディに愛着がわくだろうしね。

幻のクロノメーター

クロノメーターとは大航海時代に自分自身の座標を計測するために造られた計器、だそうです。初めて知った…。
物語はこのクロノメーターの開発を一人の少女の視点から描いています。少女エリーもまた貧しく時計を作り上げることすら困難な身分ですが、そこから少しずつやりたいことを叶えていくんですね。
この作品も表題作と同じように逆境を乗り越えて望みを叶えていく光の部分も持ち合わせているのですが、表題作と違うところはその闇の部分です。
あんまり書くとネタバレになってしまうのですが、ここで登場するクロノメーターという機械は非常に精巧に作られたもので、まるで生き物のようですらあるんですよね。正しい理論に基づいて作られたものは、部品が連動して動きそれ自体が自律しているように見える。ということは、逆に言えばどんな理論かは分からなくとも、自律している人間はある意味機械と似たようなところがあるのではないだろうか。そう、人間は機械に置き換えることが可能なのではないだろうか。それがこの作品の闇の部分です。この作品を読んでいて最後にそれに気づいたとき、すごくぞっとしましたね。
他にも、ブラックボックスの高性能な部品を使うか、ホワイトボックスの責任を取れる部品を使うかという技術者の倫理を問う展開もあったりして、短い中にはっとするようなものがあったりしてすごく面白かったです。