攻殻機動隊 新劇場版


ARISEシリーズの完結編となる新劇版、観てきました。TVシリーズでは過去4作のARISE劇場版の再編集に加えて、今作とつながる「PYROPHORIC CULT」が放送されていました。これも含めて感想を書こうかなー…とも思ったのですが、新劇版がわりとまとまっていたので今回はこちらにフォーカスして書いてみます。


ストーリーが複雑というか、様々な事象が絡み合っていて毎回流れを追うのが大変な作品なんですが(笑)今回もちょっと理解し切れていません。公開後からちらほら検索で来られている方がいるようなんですが、パンフレットにかなりすっきりしたネタバレが載っているのでおすすめです。あ、ちなみに観賞後に読んだ方がいいですよ。今作のネタバレもがっつり載ってますからね。
大使館占拠や、首相暗殺など同時多発的に起こる事件だけを見るととても複雑ですが、キャラクターに注目するとわりとすっきりと素子とクルツ(胸元セクシーな素子の元同僚)の対立という構図を提示しています。
素子は国家権力の一部である公安9課とほぼ協調しており、クルツは企業体であるハリマダラ重工と密な関係を築いています。そうこれは、このシリーズで何度も登場する一文、

企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなる程、情報化されてない近未来

を表現しているんですね。企業の産み出すプロトコルや規格は国家や共同体の枠を超えて様々な人々を接続する。クルツは旧態依然として柔軟性のない国家を見切り、それを超越していくであろう世界に賭けた。一方、国家が法を基礎としているように、企業は経済という枠組みの中にあります。そこは確かに国家に比べて自由ではあるけれど、歯止めの利かない世界でもある。自由であることと無秩序であることは違いますよね。素子は特に法を重んじる、というキャラクターではないと思うけど(時々危ないことも平気でするしね)、ハードウェアを含めた自分の存在が金に換算されるのが嫌だったんじゃないかな、と思うんですよね。経済的な価値だけで自分を評価して欲しくない、と。今作はこれまでのシリーズの原点となる位置づけで、素子もかなり若いし、けっこう失敗したり一人で暴走したりと、仲間どころか自分すらうまく制御できないところがあるんですよね。自意識過剰、と言ってしまうと少しイタい感じもするけど(笑)、そんな若さゆえに素子はクルツと対立するような立場を選んだのだと思いました。


それと見事だったのは時系列的には未来になる過去の映画化作品に対して、きちんと伏線を敷設しているところですね。このARISEシリーズを通してテーマとなった疑似記憶、第三世界と呼ばれる自我を超越した世界、ヒトと人形を隔てるものの曖昧さ、そして未来についての言及。キャッチにもなっている「未来を創れ」という言葉は、SSSでいうトグサが最後に呟く「願わくば成長した彼らが個のポテンシャルを上げ、我々が出せない答えを見つけ出してくれることを祈るばかりだ」(攻殻機動隊: SOLID STATE SOCIETYより)というセリフをより直接的に、もっと温かく言ったものだと思うんですよね。もっとも元々は漫画版の台詞の引用でもあります。「未来を創れ」というとちょっと抽象的ですが、「個のポテンシャルを上げる」というのは正に素子がしているように自分の能力を育て、それを発揮する場を守るということなんじゃないかなと思うんですよね。国家や誰かのためじゃなく、企業や金のためでもない。自分と、その後に続くものたちのために働くこと。ストーリーはやや複雑ですが、テーマはシンプルでストレートな作品だったと思います。


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