MAD MAX 怒りのデス・ロード (IMAX 3D)


数年に一度くらいの割合で、なんていうかこう、「観るんじゃない、感じろ!」的な映画に出くわします。まあだいたい内容を知った上で観に行ったので「出くわす」というのは正しくないんだけど、正面衝突レベルの衝撃をくらいました。


というわけで。



いやああああ、すっげ、すっげーーーーおもしろかったーーー!!!ひやっはぁああああーーーーー!!!



ツイッターでも軒並み鑑賞した人が低知能に陥るというレポートが上がってきており懸念されていましたが、懸念されていたとおりでした。なんていっていいのかわかんないけど、すごいいきおいでいろいろふっとんだよね。(漢字が書けない)


フィクションというものは、現実では実現し得ない外側を提示する、というのも一つの機能だと思います。もちろん、現実にとてもよく似せたものを表現することもあるけど。夢、と言ってしまえばそのとおりで、でもそれは夢にしては整合性の取れているものなんですよね。この映画はくるってる。この映画はとんでもなくおかしい。それでも映画として成立する文法が、骨格が太く存在している。すごいよね、あれだけやりたい放題、火薬量半端ないし、人は死ぬ死ぬ、状況説明的な台詞がほとんどないのに、ちゃんと映画観た感じがするんです。すごい!まるでどこまでやれば映画が壊れるかをぎりぎりまで試しているような、破壊的な映画でした。さいこう。



!!! 以下ネタバレ !!!







もうネタバレも何もないような気もするけど(笑)狂気(Madness)で舗装された道路を、行って、戻ってくる(Get Back)物語。物語の中心にあるのが「女性」で、彼女たちの変化が物語の主軸となります。男どもはあれだね、うおーっ!って雄叫びあげて銃を撃ったり太鼓叩いたりギター弾いたりしてるだけなんですよね(笑)まあここで男女がどうというつもりはなくて、単に個々が希望を持とうとするか、諦めたかの違いでしかないと思います。男性であるマックスも先のことを考えて、いくらかは希望を持とうとするしね。正気ではそれにすがるのは愚かとしか思えないような小さな希望と、狂気の渦を中心として吹き上がるお祭り騒ぎのような絶望と。それが正面衝突する。そういうインパクトと狂乱に満ち満ちています。
そのお祭り騒ぎを象徴するのがギター男だったと思うんですよね。彼は戦闘にいっさい参加しない。ただ火を吹くギターを爆音で奏でるだけ。その火を出す分の燃料、生活に回せばいいのに!なんてことが一瞬頭をよぎるのですが、いやこれでいいんだ、絶望の縁にたどり着いた時にはこのくらい無意味なことをしてもいいんだ、とそう思うんですよね。なんだろう、日々の中でちょっと落ち込んだ時に、狂気の中であれほど正しい無意味さを持っていることを思い出すと、なんだか楽になれるような気がします。いいんだ、あれくらいやっちまっても。一方で後半の復路に随伴する、ばあさんライダー軍がめっちゃかっこよかった!弾をくわえて、腰だめに構えた銃で敵を吹っ飛ばしたカットが最高でした。ばあさん、かっこいいぜ!この映画では終始、正気と狂気がぶつかり合うようなところがあるなあと思ったのですが、いやいやいや。ばあさんもけっこうマッドだよね!これはそれぞれの狂気が喰らい合う、そんな物語だったのだと思います。
そしてこの物語は、取り戻す(Get Back)物語でもあります。愛を…と書きたいところですが、今作はロマンス要素あんまないですね。ヒトが人として生きるために必要ななにか。絶望ではない、この先生きのこるために必要なもの。それは結局は元のかたちとあまり変わらないものなのかもしれないけど、取り戻すことそのものが映画のクライマックスであったと思います。