野火


塚本晋也監督作品。観てきました。
原作は小説で過去に一度映画化されていますが、どちらも未読、未鑑賞です。


原作は知らなかったけど戦争映画だ、という意識は当然あってその先入観で見始めたんですが。いや、すごく緑が綺麗なんですよね。緑というか自然が。舞台となるフィリピンだけでなく国内でも撮影されていたようですが、見とれるくらいに緑がよく撮れてる。淡く光が透けている透明感と、下生えの翳りのコントラストが本当に綺麗なんですよ。冒頭から主人公は、戦争に徴収され現地で肺炎にかかり理不尽な状況に右往左往するばかりの哀れなシーンが続くのですが、思わず背景の方に魅入ってしまいました。
これだけじゃなく時々インサートする風景も素晴らしい。雄大な青空に浮かぶ雲や、沈んで行く夕日を捉えたカットの数々。映画の内容にもよるけど、背景がきちんと綺麗に撮影されている映画ってぴしっと折り目正しい感じがして好きなんですよね。


さて。この映画は戦争映画です。でも想像していた戦争映画とは少し違いました。この物語には国を守るという崇高な意志があるわけでもなく、愛する人の元へと帰りたいという、少しばかりの個人的な物語が見え隠れするだけで、ほとんど物語らしいものはありません。映画と聞いて想像するようなドラマチックな物語、という意味でね。ではこの映画は何を描いていたんだろう。
この映画の視点は主人公が戦火を逃れてジャングルの中をさまよう姿を中心に、同じように生き延びるために人間性を失って行く他の兵士たちを見つめています。彼らは一様に顔の判別もつかないほど泥や血で汚れ、着衣は次第にぼろきれのようになって、醜い人間に似た「なにか」のようなものに変貌していきます。
それでも「こんなのは人間じゃない」と切り捨てることはしないんですよね。あくまで冷徹にそれも人間なんだ、人間として認めろと迫られるような息苦しさがそこにあります。生きるためには仕方なかったんだ、と無言の叫びが聞こえてくるような。これはもう戦争というよりも、生存のための戦いです。こんな極限状態ではヒトを人たらしめているものはすべて捨てなければならない。それがとても痛々しく感じられました。
それでは戦争はどこにあるんでしょう。人間を動物的な生存競争の段階にまで突き落とす、戦争は。スクリーンにはただただ美しい自然の風景が広がっています。その手前ではぼろを纏った地獄の餓鬼のような人々が倒れたりよろよろと歩いたりしているだけです。
戦争は自然の中にはない。自然の中には生存競争しかありません。戦争は人間の頭の中にしかない。とても印象的なカットがありました。襲撃された主人公側が苛烈な銃撃戦に巻き込まれるシーンです。銃声と悲鳴だけがスクリーンから溢れ出します。ちなみに塚本監督の映画をそれほど観ていないのですが、こういう暴力を音で表現する演出が巧みだなと思いますね。戦闘シーンでは攻撃側は一切映りません。銃撃された側のただただ凄惨なカットが続きます。手や足が吹き飛び、内臓や脳がこぼれ落ち、兵士たちは自分の身を守ることが精一杯で肉片を蹴散らして逃げ惑います。ゲームのようにかっこいいシーンは一つもありません。私がゲームをする割にはあまり武器や兵器に興味がないのは、現実には撃つ方ではなくこういうふうに撃たれる方だろうと、なんとなく思っているからなのかも。撃たれる側からすればそれがどんな武器なのかなんて関係ないですからね。
映画としても嫌な気分を最大限の許容量で見せつけるシーンですが、不思議と目が離せませんでした。そして戦闘が唐突に終了すると、ふと虫の音が戻ってくるんですよね。真夏の縁側で聞いているようなのんびりした平和な音が。このギャップが本当に素晴らしかった。活き活きとして生命感にあふれる美しい自然の風景と、汚物と血と泥にまみれて無念のうちに死に絶えていく人間の姿。自然は人間の戦争には関知しない。戦争をしているのは、無駄に命を消費しているのは人間だけだ、と。


戦争と自然の間に挟まれている人間。もう一つ、それを表現しているのが主人公が遭遇した現地民の男女です。彼らは戦争の片隅で愛し合うというとても自然な行為をします。が、そこに居合わせてしまった主人公は混乱して撃ってしまいます。そして彼らを戦争の側へと引き入れてしまう。自然という外部の状態から、戦争という頭の中の状態へ。主人公はたびたび幻覚としてその撃ってしまった女性に悩まされます。心を抉られるような絶叫を上げながら銃を乱射するその姿は、彼の戦争を象徴するものの一つとして何度か現れるんですよね。戦争がたった一人の人間の頭の中で完結するなら、こんな悲劇は起こらないはず。主人公もまた誰かの頭の中にある戦争に巻き込まれて、日本を遠く離れたところまで行かされた一人です。戦争という概念は言語よりももっと簡単に伝達、というか伝染可能なものなんでしょう。そしてそれを抑止することはとても難しいし、それを収束させることはもっと難しい。
こういう点はどこか自然と似ています。台風や竜巻は自然に発生し、拡大して、いずれ収束します。人間には今のところ制御はできません。戦争も似てるんじゃないかと思うんですよね。勃発し、拡大して、終戦となる。人間の頭の中にあるのだから制御もできるんじゃないかと思いがちですが、今までにコントロールできた戦争というのは聞いたことがありません。この映画も、状況を真に理解して制御しているような人間は誰一人としていない。どうやって始まったのかは(ある程度)理解できても、どうやって終わらせるのかを知っている者はいない、ということ。


この映画の中で描かれる極限状態は、どのように収束したのかを明確には描きません。ある時、気がついたら平和な人間社会に戻っていた。そしてこの映画の一番恐ろしいところはこの終盤のシーンです。頭の中に戦争を抱えたまま、何事もなかったかのように日常を送ること。戦争は戦闘地域にだけ発生しているものではなく、頭の中にあってどこにでも存在するもの。その地続きの感覚が映画を観終わった後も続いているようで印象的でした。